世界初の量産MTBはスペシャライズド・スタンプジャンパーであった。スタンピーはリッチー車のコピーであるという噂は否定し難いことは前の稿で述べた。
 

1982年 日本初の量産MTB登場

 アラヤは、USにおける初期のMTBムーブメントの頃からリムの供給メーカーであったが、1981年9月にショーデビューした世界初の量産MTB、スペシャライズド・スタンプジャンパーにもOEM受託先という形で関わることになった。
 
 スタンピーの生産を通じ、MTBがUSでバカ売れしていることを実感できる立場にいたアラヤは、10年前のBMXもそうであったように、このMTBという未知のジャンルのバイクもじきに日本に上陸して注目されるに違いない、と考え、その時までに我々もMTBを自社ラインアップに加えておこう、と決めたのだろう。(とはいえ、あれほどまでの大規模なブームとなるとは予想していなかったに違いない)
 
 1982年秋、アラヤ初のMTB、そして日本初の量産MTBマディフォックスは、MTBにおいては無風の国内市場に突如としてデビューした。スタンピーのOEM生産の経験がマディフォックスに活かされなかったわけがない。それでは、マディフォックスはスタンピーから、どれほどまでの影響を受けたのだろうか?
 

それでは日本初のMTBは?

 「量産」という縛りを入れれば、アラヤ・マディフォックスが日本初のMTBであることは間違いない。それ以前に、少量生産でもワンオフでも、日本のメーカーあるいはビルダーがMTBを作ったことはなかったのだろうか?
 
 こちらの投稿(http://www.italian.sakura.ne.jp/sons_of_biscuits/?p=5572)で「ワイルドキャット」の平木氏による「マングース・コスクルーザー改MTB仕様」を紹介したが、残念ながらマングースの改造車に過ぎず、今回のケースに該当しないと判断する。
 
04
 
 世界初の量産MTB「スペシャライズド・スタンプジャンパー」は日本製であったが、これもあくまでスペシャライズドの製品であり該当しないとみるべきだ。
 
01
 
 同じ投稿内で、サイクルスポーツ誌1982年8月号の記事を紹介しているが、どうにも気になる一台が登場している。「三連勝」ブランドでハンドメイド自転車を提供していた「シクロウネ」の「カシワ号トムキャット」である
 
02
 
 この命題を考察するにあたり、ピンときたトピックがある。
 
 サンツアーU.S.A.社長であった「河合一郎」氏は、マリン周辺のMTBのパイオニアたちと交流があった。ジョー・ブリーズ製作の初代ブリーザーを入手した河合一郎氏は、「新しいジャンルの自転車のサンプル」として日本に送ったと聞いている。
 
 一方、サンツアー社長「河合淳三」氏とシクロウネ主催の「今野義」氏との交流は深かったという。ここからは私の想像であるが、河合淳三氏はUSから直送されたブリーザーを今野氏に、「こんな自転車がアメリカにあるんや、知らんだろ」といった感じで見せたことがあったのではないだろうか。
 
 未知の自転車の存在に触発された今野氏は、自ら「カシワ号」を製作した。あるいは河合淳三氏から同様な自転車の製造依頼を請けて一肌脱いだ・・・ということで、私は「日本初にフルスクラッチで作られたMTBはシクロウネのカシワ号トムキャットである」と推測するのだが、みなさんのお考えはいかがだろうか?
 
 この推測が確かならば、興味深い関連性に気づいた。
 
   (初代ブリーザー):(スペシャライズド・スタンプジャンパー)

=(カシワ号トムキャット):(アラヤ・マディフォックス)

 
の関係式が成立する。これだからMTBは面白い。
 
 (とここまで書いてみたが、ちょっと気になる事実もある。当方は、堺の自転車博物館に収蔵されている初代ブリーザーが、そのサンツアー物件だと長らく信じてきたが、博物館のHPに「マイケル・ダックスがジョー・ブリーズに発注したものをシマノ・アメリカが買い上げた」と書いてあるのに気づいた・・・そりゃそうだよな、シマノの博物館だもの・・・たった10台しかないバイクのうち2台も日本に来ているとは考えにくい。もしや、河合一郎氏がブリーザーを日本に送ったという事実は存在しないのか?スタンプジャンパーを見て、カシワ号で追随したと考えるべきか・・・)
 
[追記] ブリーザー・ファーストシリーズの当時のオーナー、現在の在処の資料が見つかりました。おそらくカシワ号はスタンプジャンパー影響下とみるべきなんでしょう。

------------------------------------------------------------------------
 Sequence   S/N   Original Owner     Where Now
   Sold
------------------------------------------------------------------------
  1         JBX1  Joe Breeze         Oakland Museum -> Smithsonian Museum
  2         7.74  Charlie Kelly      Mountain Bike Hall of Fame
  3         2.81  Otis Guy           Otis Guy
  4         5.68  Fred Wolf          Frank Hawkins
  5         8.12  Larry Cragg        Larry Cragg
  6 or 10   6.99  Wende Cragg        Joe Breeze
  7 or  9   4.47  Jerry Heidenreich  Jerry Heidenreich
  8 or  7   9.23  Terry Haggerty     Matthew Seiler
  9 or  8   3.35  Michael Ducks      Shimano Museum
 10 or  6   1.56  Fritz Maytag       Fritz Maytag

 

 

第1世代マディフォックス

 ここに1982年から86年までの「第1世代」マディフォックスのカタログを紹介する。(1987モデルから、スローピングトップチューブを採用した「第2世代」となる)
 

ARAYA MB-MF26DX
この”A-83″と記されたバージョンが最初期のリーフレットと思われる

 
 1981~82年頃の為替は $1=220~250 円なので $750 のスタンプジャンパーは 165,000~187,500 円に相当する。そんな頃にマディフォックス26DXは 106,000 円のプライスタグを付けて登場した。スタンプジャンパーの6掛けとはいえ、日本市場においてはマスプロメーカーの製品としては最高価格帯にあり、この海のものとも山のものとも分からない自転車に、当時、106,000 円もの大金を投資した人は、本当にアンテナが高かったと思う。(なお、26DXでの手応えは十分以上だったのだろう、まもなく、TIG溶接部にフィレットブレイズ仕上げを行い、一気に価格を188,000円まで上げたモデルを市場に出している)
 

1983モデル

 ”83-01(83年1月の意であろう)”と記されたリーフレット。ディーブシーブルー(画像では黒っぽく見えるが、実車はちゃんと青い)とクリスタルレッドの2色を用意。スタンプジャンパーのカラーリングを意識している?
 

 
 同じく”83-01″版で24インチホイールの24DXが追加されている。わずか11,000円の差でフレーム材の変更(オール丹下クロモリ・ダブルバテッド→前三角クロモリ、Fフォーク・マンガロイ)を含め、コンポ(18段→12段変速)など取り返しのつかない差が生じている。26DXがお買い得というか、24DXがお買い損と言うか・・・
 

 
 ”83-05″版でラグフレームの26A、26B、26C、および24Aが追加されている。26Aは前三角クロモリ、Fフォーク・マンガロイ(18段変速)、26Bは前三角&Fフォーク・マグニ材(12段)、26CはAのストリート版(後6段)、24Aは26Bの24インチ版、と仕様を細々と分け、価格の差に意味を持たせている。
 

 
 Cではフェンダー・キャリアの他、チェーンカバーまで装着しており、一見、マーケティング上のアラヤの迷いと受け取れるが、ヨーロッパ、特に英国ではMTBでも珍しくないスタイル(それをアラヤが知った上での設定かどうかは分からないが)。さらにいうと、このCモデルだけ、フレームのディメンションに手が入れられている。
 

 
 以上で26インチ4種、24インチ2種、全6種のラインアップが完成する。
 

1984モデル

83-09

 リーフレットの発行時期は83年9月、例年、イヤーモデルチェンジは前年秋に行われるため、翌84年モデルの紹介となる。82年秋のデビューから83年春までにそろえられた全6種は変更の無いまま翌年モデルとしてキャリーオーバーされている。
 

 
 オプションパーツに「日東製ハンドル(ブルムース) 6,500円」、「ショルダーパッド 2,700円」、「ポリボトル 1,200円」、「スタンド 2,800円(26″) 1,200円(24″)」、「ドロヨケ 2,800円」、「キャリア 3,200円」が設定された。84モデルでは26-DXのみに対して、ボトル&ボトルケージが標準装着となる。このテコ入れで、24-DXのお買い「損」感が、ますます強まった。
 

 
 リーフレット内左上に見過ごせない一文が・・・「アメリカ向け輸出も好調」とある。マディフォックスは対米輸出されていた!?(蛇足だが、文中「思いどうり」は「思いどおり」が正解)
export
 
 「マディフォックスは(スペシャライズドとの関係から?)対米輸出はされなかった(英国には輸出された:後述)」というのが私の認識であったが・・・簡単ではあるが、この件について私なりに調べると、やはり以下の通りであった。
 
 (かなり不足のあるリストというものの)英語版 wiki のMTB製造業者のリストにアラヤの名はない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Category:Mountain_bike_manufacturers
 
 シェルドン・ブラウン(Sheldon Brown)氏によるよくまとまったページ、”Japanese Bicycles in the U.S. Market” (US市場における日本製自転車)のリストにも完成車メーカーとしてのアラヤの紹介はない。(素晴らしいリムを作るリムメーカーとしてのみ紹介されている)
http://www.sheldonbrown.com/japan.html
 
 MTBの歴史的メーカーを網羅し、そこに紹介されているだけで栄誉とされる MOMBAT のリストにはアラヤはあるが、シェルドン・ブラウンと同じくリムメーカーとしての扱いのみである。
http://mombat.org/MOMBAT/history.html
 

1985モデル

84-10

 新発売されたサンツアーとシマノのMTB専用コンポの採用他、ビッグマイナーチェンジとしてフレームパイプ径のオーバーサイズ化が行われている。それに伴い、値上げと名称変更が行われている。
 

 26C、26B、24DXの3種は、名称変更なく旧スペックのままカタログに載せられているが、「売れ残り」の在庫整理であろう。

84-11

 TIGモデルの26-DXは、「最高級」の26-I SPR、「高級」の26-II SPRに分化し、ラグモデルの26-Aは、「本格」と称される26-IIIとなる。
 
 「最高級」は贅沢にもTIG溶接部にフィレットブレーズが施され、新たにクラウンレス構造のFフォークが採用されている。
 

 
 「高級」は「最高級」からフィレットブレーズ仕上げが省略されたもの。フィレットブレーズ代は差額6万円也。
 

 
 ”スーパー”の装飾詞が付かない「本格」のフレーム材は14,000円の値上げで、前三角クロモリ+マンガロイフォークから、ダブルバテッドのオールクロモリに昇格。フォークは、旧モデルのクラウン・フォークが流用される。
 

 

84-12

 26-4は26-IIIのフレーム材のグレードを落としたもの。
 

 
 24インチはTIGフレーム1種に統合。
 

 以上全5種。
 

84-11

 以下デザイン違いのリーフレット。
 26-I、II、IIIの表記が、26-1、2、3に変更されている。
 

 

84-12

 

1986モデル

85-09

 86年モデルとして、クロスバイクの走りというべき26-5が追加され、全6種となる。
 

 

MTBパイオニアとの関わり

 アラヤは自社カタログ(1994年)の中で自分たちがMTB生産に関わり始めた経緯を紹介している。マニアックにもMTBのパイオニア達が実名で登場していて、なかなか興味深い。
 
araya02

 
(前略)78年、優れたリム作りでアメリカに広く知られていたアラヤにマウンテンバイクの特徴のひとつ、極太タイヤとコンビネーションを組める強靭なリムの製造が依頼されました。高性能なマウンテンバイクを作るためには、アメリカの自転車産業がアラヤのリムを必要としたのです。その頃、日本の自転車業界のマウンテンバイクに関する知識は皆無に等しいものでした。早速、マウンテンバイクの始祖といえる面々、ゲイリー・フィッシャー氏、トム・リッチー氏、エリック・コスキ氏からマウンテンバイクに関する知識を学びとり、最良のリム作りを目指して意見交換。国境をこえて互いの技術を認めあい、力を合わせていく。アラヤはまずリム作りという技術でマウンテンバイクと出会い、その全力を尽くしたのです。(略)
 
アラヤはこのマウンテンバイクの持つ魅力と可能性に着目。そしてリムというパーツにとどまらず、自分たちの手で日本のマウンテンバイクを作りだす夢を描きました。(略)
 
当然ながら、日本にはマウンテンバイク用のフレームも何もありませんでした。まずはフレームのパイプ作りから。パイプメーカーへの製造依頼。バイクの基本性能を決定するフレームスケルトンの検討。またワイドレシオのギアリング、制動力の優れたカンティブレーキなど、マウンテンバイクの主要となるスペックについても他のパーツメーカーなどに呼びかけ、ひとつひとつ粘り強く開発を進めていきました。(略)
 
ようやく第一号試作車が完成。(略)まずは本場アメリカで試作車の性能をチェック。開発スタッフたちの期待と不安とともに、試作車はアメリカへと旅立ちました。(略)同時にスタッフらは現地のレース・ミーティングなどにも積極意的に参加しました。またこの時、リチャード・カニンガム氏、マイク・シンヤード氏といったマウンテンバイクエキスパートたち、初のマウンテンバイクマガジン「FAT TIRE FLYER」編集長デニス・カラマーニョ女史らと活発に意見を交換しあいました。(略)ここでアラヤは確信という大きな収穫を得ました。
 
1982年、アラヤMB-MF26DX誕生。マウンテンバイク創始記から日本のパーツメーカーとして携わり、技術開発を重ねた結果、ようやく迎えたデビューの日。ゲイリー・フィッシャーの手によって作られた改造自転車の誕生から8年、リム製造受注から4年後のこと。新企画の自転車としては、異例の開発スピードでした。(後略)
 


 図らずも自ら吐露している「異例の開発スピード」を実現させたものは、はたして?
 

マディフォックスによく似たバイク

 マディフォックスとスタンピーがよく似ているのは、2台とも同じ時期に同じメーカーで造られたバイクという点で不可避といえる。実のところ、そのフレーム製造は両車とも、アラヤから業務委託を受けていた東洋フレームの線が濃厚である。
 

1983 ゲーリーフィッシャー・モンターレ

 同じころ、その東洋フレームで生産されていたもう一台が、ゲーリーフィッシャー・モンターレである。(同じバイクをリッチーではリッチー・ロッキーマウンテンとして売っていた。その経緯はこちらで)
 
 このバイク、細部がマディフォックスによく似ている。トップチューブ、シートポスト、シートステイをつなぐソケットラグの形状、そしてフロントフォーク形状(特にそのクラウン形状)が瓜二つだ。
 

 
 シートステイの形状、構造は明らかに異なるが、それ以外の形状が酷似している。
 

rag01 rag02

[LH] 1983 GF Montare / [RH] 1983 Araya MF26DX

 
 フォークのキャスト・クラウン形状は完全に一致。
 

crown01 crown02

[LH] 1983 GF Montare / [RH] 1983 Araya MF26DX

 
 ただし、このクラウンは当時、フレーム材メーカー、丹下製作所が用意していた汎用パーツではある。
 
crown03
 

芦田自転車・ロードアドベンチャー26XX


 先に言ってしまうとこのバイク、マディフォックスと「よく似た」というレベルではなく、「まったく同じ」なのである。
 
 誰も知らない「ロードアドベンチャー」なるMTB、当時のMTBのカタログ的紹介記事などに露出していて、「こんなのあるんだ」くらいの認識をした記憶もなくもない。実際、古い雑誌を引っ張り出して見直してみたら、しっかり掲載されていることを確認できた。しかし今回、その事実の指摘を受けるまで、それがマディフォックスと同じバイクと気づくほど注意を払ったことは無かった。あまりに存在感が希薄であったからだ。
 
 これがそのロードアドベンチャーの宣材写真である。以下のマディフォックス26DXと比較していただきたい。
 

 いくつか装備に相違点が見受けられるが、一瞥して同じバイクということが判断できる。
 

 2車の宣材写真、バイクの向きからフレームカラー、背景はおろか、クランクやエアバルブの位置までもが一致しているのは興味深い。マディフォックスの画像を修正してロードアドベンチャー用に流用したと思えるほどだ。
 
 両車のスペックは以下のとおり

ロードアドベンチャー26XX MF26DX
フレームサイズ 510mmx26″
フレーム クロモリダブルバテッド
フォーク クロモリ
重量 14.7kg 13.8kg
タイヤサイズ 26″x2.125″
ギア 前3段(48-40-32T)
後6段(13-15-17-20-24-30T)
Fディレーラー サンツアー・サイクロンM-II
Rディレーラー サンツアー・サイクロンM-II GT
ショルダーパッド オプション 付属
価格 120,000円 106,000円

 
 これらスペックは一致する、と言ってよいだろう。(ただし、総重量が26DXの方が26XXよりも900g軽い。この差は謎である)さらにご丁寧にも、24インチモデルもロードアドベンチャーにも用意されている。
 
 画像で判断できる両車の相違点は、各所のロゴ・ステッカーの有無、リアリフレクターの有無の他、サムシフターのレバー形状、リアブレーキワイヤーの通し方くらいだろうか。
 

 私が両者の一致の事実を知ったのは、当HPのコメント欄に、26XXオーナーである田中さんから質問をいただいたことからだった。田中さんの疑問は自分のバイクはアラヤ・マディフォックスなのか?それとも芦田ロードアドベンチャーなのか?というものであった。
 

 私のMTBですが、2015年にオールドスクールバイクを扱う店で中古を購入しました。店の説明では、アラヤMB-MF26DXとのことでした。
 
 アラヤのロゴ・ステッカーが無い状態に疑問を感じて、ステッカーが無い仕様はあったのか、アラヤに問合せすると、「商品化する際は、ステッカーを付ける」との返答でした。MB-MF26DXのステッカーを剥いだ物か、再塗装物かもしれません。ですが、塗装は質の良い感じがしますし、タンゲのステッカーやBBの名称ステッカーは残されています。
 
 某ブログで、芦田自転車ロードアドベンチャー26XXを見て、MB-MF26DXと同じことに気づきました。


 現物を見ればロードアドベンチャーの線が濃厚だが、車両の「ボトム下の車台番号は、A3G0***で、シートステイ上側に、アラヤマークのA刻印があり、フレームのリアガゼットには、ARAYAの刻印が在ります。今まで、4台のDXを見ましたが、全てこのような刻印があり、車台番号は、Aから始まっていました。」という特徴からマディフォックスではないかという判断も捨てきれないとのことであった。
 
 このことは「マディフォックスとロードアドベンチャーは同じバイクであり、両社間のなんらかの提携関係で、異なるブランドとして売られた」と考えるのが自然で、このようなこと(バッジ・エンジニアリング)は自転車のみならず、オートバイや4輪自動車の販売でもよくあることではある。しかし、あのビッグネーム、初代マディフォックスに無名の兄弟車が存在していたという情報から受けた衝撃は、私に以下のような早合点をさせてしまうほどであった。
 

 
 マディフォックスとロードアドベンチャーの画像を比較すると一目瞭然で、初代マディフォックスは(東洋フレームではなく)芦田自転車製なのは明らかですね。(情けないことに、ご指摘いただくまで気づきませんでした)
  
 車台番号はアラヤ文法によれば、
  
   A=芦田自転車
   3=1983年
   G=7月
  
と解されます。
 
 「A」のイニシャルがアラヤとも芦田とも取れ、判断に迷うところは私も同じです。ただ、MF26DXそのままの芦田ロードアドベンチャー26XXを見れば、その迷いは吹っ切れます。アラヤが発注した以上、芦田が造った製品にARAYAの刻印を入れさせても不自然とは思えません。
 
 芦田が単なる下請けであれば、ロードアドベンチャー26XXとして世に出すことを許されなかったであろうことから、もしかしたら日本初のMTBの開発は芦田自転車主体であったのかもしれません。資本力のあるアラヤが、その企画一切を買い上げ、自社ブランド車として世に出す一方、(開発の功績を認め)同じものを芦田ブランドで(細々と)売ることも許した、というシナリオです。
 
 一方、初期のマディフォックスに東洋フレームが関係したということは複数筋から耳にしております。フィレットブレイズが施してあるMF26-1 SPRあたりの仕事は間違いなく東洋ではないかと推測しております。(芦田で造ったフレームを東洋に持ち込んで、フィレットブレイズだけ施した?)


 私は「芦田が上流、アラヤが下流」と誤判断してしまっていた。(実際はその逆であろう)
 
 (驚くべきことに)田中さんはこの件に関し、アラヤのお客様相談室に連絡をして確認をとってみたとのこと!!
 

 
 本日、アラヤのMB-MF26DX開発当初のスタッフに芦田自転車との関係や東洋フレームとの関係を質問しました。
 
 MB-MF26DXは、フレーム材の選定から設計・製造まで全て、アラヤとのことです。芦田自転車とは関係が無いと言っておりました。が、東洋フレームが溶接していたような、ニュアンスは感じられました。
 
 芦田自転車の特徴が、私のMTBと一致しております。全く同じ自転車が別の会社で、販売されていた。ということです。芦田が作り、アラヤが買い取り、販売。も推測できますが。アラヤが作り、芦田も何らかの繋がりで、販売出来た。 とは考えられないでしょうか。でも、何故、アラヤは、芦田と関係が無いというのか。
 
 結局、どちらのブランドでも良い自転車であるのは変わりはないのですが、日本で初めてのMTBがアラヤか芦田かとなると重要ですよね。芦田自転車は、当時品質が優れている自転車製造メーカーだったかわかりますか?


 なぜ私は「アラヤが作り、芦田も何らかの繋がりで、販売出来た」と最初に考えなかったのだろう?心当たりはある。初代スタンピー誕生の経緯といい、大メーカーに対する不信感が、私の思考の根底にあったゆえだと思われる。
 
 ここから話は芦田自転車に関する調査に入る。
 

 
 芦田というメーカーについては全く何も知りません。私のテリトリーである東京近郊では現在、過去とも全く無名です。よくある大阪ローカルの量販車メーカーと思われます。(日本のオートバイ製造の中心が静岡県のように、自転車は大阪府が中心地で、大中小メーカーが乱立している・・・否、今となっては「していた」とすべきか)当時の芦田の所在地、「大阪府八尾市西弓削3-133」は、現在では「東洋興業」となっています。この会社は設備系の金属製品製造業者で自転車とは無関係のようです。
 
ashida-bmx
 このBMXは芦田ブランドです。解説には「ハンドメイド」、「国産最高パーツをアッセンブル」、「もっとも高価格の方に入る」と書かれています。(ちなみに75,800円です)つまり芦田自転車は高級車を扱う(製作する?)ブランドではあったのでしょう。
  
>アラヤが作り、芦田も何らかの繋がりで、販売出来た。 とは考えられないでしょうか。
  
 一件、参考になりそうな事例を見つけました。アシダ・シキシマというダブルネームの折りたたみ自転車です。
  
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.167768739998102.32209.145561758885467&type=3
 ヘッドとリアマッドガード2か所に芦田のマーク、
 
ashida-shikishima002
ashida-shikishima003
 シートチューブ1か所に敷島のマークが貼られています。
 
ashida-shikishima004
 車台番号は(アラヤ形式で)「S4F」。S=敷島、4=74年?84年?、F=6月と解せます。つまり、敷島で作って芦田が売ったと。
 
ashida-shikishima001
 これは私の推測ですが、芦田は海外に販路を持っていて(画像の投稿元はフィリピン・ダバオ。東南アジア方面に強い?)、敷島にはそれがない。敷島は自社製品の輸出にあたり、芦田の海外販路に頼り、その際、芦田は敷島とのダブルネームで売ったのではないかと。(なお、敷島自転車は芦田と同じく大阪ローカルの老舗量産メーカー。現存しています)
  
 しかしアラヤがわざわざ芦田に車両を卸す理由がみつかりません・・・そこで私は上の推測を発展させてこう考えてみました。アラヤはマディフォックスの輸出には積極的ではなかった。(実際、そうでした)その間隙を突いた芦田は、(東南アジアへの)輸出向けとして車両を卸してもらうことになった。しかし、アラヤブランドは使わせてもらえなかった。そこで自社ブランドのロードアドベンチャーを立ち上げた。本来、輸出向けモデルであったロードアドベンチャーだったが、少数が国内にも出回った・・・というシナリオです。この説を支える根拠はまったくありませんが。


 私と田中さんとのやり取りは、ひとまず以下の総括をもって閉めさせていただく。
 

 
 今のところの情報を総合的に判断して、
  
(1)アラヤ・マディフォックス26DXと芦田自転車ロードアドベンチャー26XXは同じバイク。ただし、バイクの企画、開発、製造はアラヤによる。
 
(2)商社である芦田自転車はアラヤより車両の供給を受け、自社ブランド・ロードアドベンチャーとして(輸出および)国内販売を展開。(アラヤは、まだ未知のジャンルのバイクの販売がどうなるか分からなかったため、一台でも多く捌けるようにOEM供給に踏み切ったのではないか?)
  
(3)田中さんのバイクは芦田自転車ロードアドベンチャー26XX
 田中さんのバイクは、当時の26DXと26XXの宣材画像で観察される両車の差異をほとんどすべて網羅しているため。(その点で田中さんのバイクのオリジナル度はきわめて高い)
 
   ・オリジナルペイントであるにもかかわらずアラヤのマーキングが全てない
   ・サムシフターのレバーの形状
   ・シートチューブ、フォークにタンゲのステッカーが貼ってある
   ・リアリフレクターの装備
  
 以上が私の結論です。
 
 後、芦田は商社とのことですが、(昭和30~40年代あたりの)芦田印の実用車の存在は確認できました。自社で自転車を生産していた時期はあった模様です。
 

 ASDマークの入ったグリップまで用意するという芸の細かさ。
 
 


 田中さんからご提供いただいたロードアドベンチャー26XXの画像を紹介し、車両の理解を深めたい。
 

 シリアルナンバーは「A3G0***」
    A=アラヤ?
    3=83年
    G=7月
 生産台数部は4桁。年産1万台を越えるとは考えていなかったことが分かる。

 フレーム材はタンゲ・チャンピオン・マウンテンバイク・バテッドチューブ。

 フォーク材はタンゲ・チャンピオン・マウンテンバイク・フォークブレイド。
 ブレーキはダイアコンペ 980。

 初代マディフォックスには、タンゲ・モトクロス・バテッドチューブが使用されているバージョンがあるのも確認している。
 

 ”モトクロス”はタンゲがBMX向けに用意したチューブ。”マウンテンバイク”登場間もない専用チューブの無かった頃は、BMX用チューブが使われたわけだ。
 
 タンゲ製キャストクラウン・フォーク

 このバイプレイン「風」クラウンは、スタンプジャンパーに採用されているバイプレイン・クラウンのデザインを意識した上で、コストカットで「風」にしたものと思われる。(ちなみに、初期のスタンプジャンパーのフレーム材は自社ブランドのツアラー向けクロモリ鋼管「スペシャルシリーズ・ツーリング」。これはタンゲが供給していた)
 
83sj_sport
 スタンプジャンパーがバイプレイン・クラウンを採用したのは、元ネタ・リッチーがそうであったからだろう。コストを十分にかけられるリッチーのクラウンは、キャスト一体ではないため肉厚を追い込んで作られている。(リッチー・ロジックで出しているクロモリ・チューブもタンゲからの供給)
 
ritchey
 ブリジストンMB-1とMB-2は、リッチーがデザインしたクラウンを持つ。下面に強いRが付けてあり、ハイトの高いタイヤが入るように工夫されている。
 
mb-1
 
 ハブ。サンシン・ジャイロマスター36穴。シールドベアリングを採用している。

 リム アラヤ7X 26″x1.75″
 これはスタンプジャンパーと同一。この時代のMTBのスタンダードといえる。スポーク穴周辺がドーム状に盛り上がっているのを「タコ穴」と呼び、当時、珍重された。

 ロードアドベンチャー26XX固有の特徴と思われるリアリフレクター。

 キャツアイ製。B-2 54は品番だろう。当時もっともポピュラーだったタイプと記憶している。

 シートステイにアラヤ・マークの刻印。

 83年式スタンプジャンパー・スポーツとの比較。
 カンチのアウター受け周辺のデザインは一致するが、スタンピーの方がアウター受けもダボも切りっぱなしの安普請。

 リアディレーラーはサンツアーサイクロンM-II GT。
 スタンプジャンパーはサンツアーARXが採用されていたが、サンツアー内のグレードではARXはサイクロンM-Ⅱより下位である。

 83年式スタンプジャンパー・スポーツとエンド部のデザインがきわめて似ている。ARAYA刻印があるかないかの違いくらいか。RDにはMTB専用パーツとして開発されたマウンテックが早くも採用されている。

 エンドはタンゲの汎用品と思われる。
end
 
 ダイアコンペのブレーキレバーとサンツアーのマイクロパワー・サムシフター。

 サムシフターがマディフォックス26DXとロードアドベンチャー26XXとの数少ない相違点である。実は意図的な差別化ではなく、単に製造ロットの違いに過ぎないのかもしれない。
 
 マディフォックス26DXとロードアドベンチャー26XXともカンチブレーキ・キャリパーはダイアコンペ980。
1986diacompe01
 同じくレバーはダイアコンペ280。
1986diacompe02
 サンツアー・マイクロパワーサムシフター各種。この辺は機会をみて調べてみたい。

レバーに樹脂部がないタイプ

樹脂部が長いタイプ

樹脂部が短いタイプ

樹脂部の形状が異なるタイプ

 ステムは日東のパール6

 クランクセットは”スギノ・スーパーマキシー”(カタログには、”スギノ PRO MX-6″と表記)。
 
 26DX標準のクランク長は175mmで、本来のロード、ランドナー用途としては長めであるが、このバイクには190mmというウルトラロングクランクが付いている。(前述・田中さんより「180㎜」であるとの訂正をいただきました)前オーナーが交換したとは考えにくいパーツではある。26XXの標準だったのだろうか?

 スタンプジャンパーには”TA シクロツーリスト”が付いていたが、スーパーマキシーはTAのコピーと言われていたのは、何かの縁?

supermaxy TA_cyclotouriste

Sugino Super maxy / TA Cyclotouriste

 
 シールドベアリング・ボトムブラケットであることをステッカーが主張。

 現オーナーが修理のためBBを外したところ、サンツアーVXが出てきたとのこと。VXは本来、中級スポーツあるいはランドナーをターゲットにしていたが、この時点では MOUNTAINBIKE (TRIPLE) と明記されている。

 オーナーが交換用にヤフオクで購入した中古VXにはBMXとの表記があった。これはまさに26DXから外した物とのこと。

 

S & G Cycles – 英国に行ったマディフォックス

 アラヤはUSにはリムを大量に輸出しており販路は持っていたはずだが、マディフォックスをMTBの本場かつ世界最大市場であるUSに輸出することはなかった(と私は認識している)。自社でOEM生産しているスタンプジャンパーとの競合に配慮してだろうか。その一方、英国には輸出していた。英国での流通は地元資本の S&G サイクルズを通して行われた。
 
 英国でもマディフォックスのブランド名は使用され、日本(アラヤ)製であることも前面に出されたが、車名の設定、ブランド・ロゴタイプ、グラフィック(ステッカー)のデザインなどは英国独自で行われた。(おそらく一切のグラフィックが無い状態で日本から出荷された車体を、英国でステッカーを貼るなどして仕上げたと思われる)
 
 輸出は1983年ないし1984年から1985年まで行われた。つまり第1世代のマディフォックスのみが海を渡っている。S&Gは1986年から、プラザ合意による円高で急騰したコストを理由に、車両の調達先を台湾へ切り替える。しかし、マディフォックスの英国における商標権はS&Gが所有していたため、アラヤと無関係の台湾製モデルにもそのまま使用され続けた。S&GのMTBは英国市場で一定の名声を収めたが、90年代半ばにMTBブームの終焉と共に販売を終了している。
 
 英国におけるマディフォックスについての Wiki の記載を全文翻訳する。(アラヤはおろか、S&Gサイクルズに関する記述もない)
『マディフォックスは、エセックス州バジルドン(Basildon, Essex)発の、マウンテンバイクおよびその他のフラットバーハンドルの自転車に特化した自転車製造業者である。会社は、1980年代、BMX自転車を生産してたが、それが売れなくなるとマウンテンバイク生産に移行した。彼らは、デイブ・スマート(Dave Smart)がデザインしたインタラクティブ・ウルトラのような自転車を生産するなど、秀でた存在であった。マディフォックスは1990年代半ばに新製品を出すのを止めてしまった。会社は2001年よりユニバーサル・サイクルのブランドとなり、アルゴス(Argos)といった大規模量販店向けのシルバーフォックスのブランドも展開している。』
 
 ちなみに、そのBMXもアラヤからの輸入であった。これは1982年モデルで、その名も Muddy Wolf !!(実は、マディフォックスの命名は、ここからヒントを得ていたとか!?)
 
s_and_g_0008
s_and_g_0001
 英国仕様パスファインダー (Pathfinder)。ベースは26DX。日本ではオプションのブルムース・ハンドルバーが標準装着。サムシフターはレバーに樹脂部の無いロードアドベンチャーと同じタイプ。
 
s_and_g_pathfinder
 下の画像は日本版のカタログから抜粋。上の輸出仕様に一致する。この仕様に一致する国内モデルは存在しなかったにもかかわらずカタログ、それも表紙に採用されたことは興味深い。
 
26dx_catalog_top
 
1983/84 Pathfinder
 
s_and_g_0009
S/NはA4C。84年3月に生産されたモデル。

BMXに貼られていたデカールと同じデザイン。

 ”BS6102:Part 1″の意味は?

 
1983/84 SEEKER
 ラグフレームのシーカー (Seeker)は26DX、26Aに次ぐ3番手モデルMF26Bがベース。
 
s_and_g_0040
 アンダーチューブ右側は”S&G Cycles made by ARAYA”
s_and_g_0003
 アンダーチューブ左側は”Muddy Fox MB-MF26b”
s_and_g_0004
 
1983/84 City
 なんと26Cも輸出されていた!!ただし、フロントにディレーラーが付いていて、チェーンカバーがない。ここには紹介していないが、24インチモデルも輸出されていたようだ。
 
1983_s&g_araya_muddy_city_co_mf26c
 
 ここからオーバーサイズ化された85年モデルがベースとなったバイクをご紹介。
 
1985 The Monarch
 ザ・モナーク。26-II SPRがベース。フィレットブレーズを奢った26-I SPRが輸出されていたかどうかは不明。(日本にはないフレームサイズ、カラー!)
 
1985_araya_muddy_fox_the_monarch_mf26_ii_spr
 
1985 BIG FOOT 2
 ビッグフット2。クロモリ+ラグから、26-3がベースと思われる。
 
1985_muddy_fox_big_foot_2
 MUDDY FOXのロゴデザインが新しくなっている。
s_and_g_muddyfox_012
 ヘッドパッジのデザインも新しくなっている。
s_and_g_muddyfox_007
s_and_g_muddyfox_009
s_and_g_muddyfox_011
 
1985 SEEKER
 オーバーサイズ・フレームとなったシーカー。石渡マンガロイ・フォークから26-4がベース。
 
 おそらくUKでは、The Monarch (26-2 SPR) > Pathfainder (26DX) > Bigfoot (26A or 26-3) > Seeker (26B or 26-4) というラインアップなのでしょう。
 
s_and_g_0011

 ステムシャフトにもISHIWATAの刻印とご丁寧にもJISマークがあります。

 新旧ヘッドバッジ比較。

 
 さて、マディフォックスの英国輸出モデルを眺めていて、ひとつ気付いたことがある。S&Gサイクルズのステッカーが貼られる前の英国輸出版マディフォックスって、まさに芦屋自転車のロードアドベンチャーと同じ状態ではないだろうか?ということだ。
 
 以下、推測であるが・・・マディフォックスには輸出向けバージョンがあって、それは日本向けの商標であるMuddy Foxのデカールの類いは一切、貼っていないものだ。(デカールの類は輸出先の事情に基づき、現地で貼られることを前提にしている)
 
 それらは商社の手によって輸出に回されるわけだが、その商社がまさに芦屋自転車であって、輸出バージョンの幾ばくかを自社ブランドのバイクとして販売した・・・あるいは、芦屋自転車は、(アラヤから直接ではなく)マディフォックスの輸出を担った商社から、輸出バージョンを購入して、自社ブランドのバイクとした・・・(ここで驚くべきことは、自社デカールすら用意せず、「名無し」のまま市場に流した、ということだ!)
 

英国生まれのマディフォックス


このMF26CRM-MGAのフレームは、なんとマグネシウム製である。きわめて複雑な形状を持つが、高圧ダイキャスト製法で一体成型することで実現している。このアラヤの過去の製品群とは隔絶した異色のフレームは、実のところ、英国カーク社からOEM提供されたものであった。(カークの出であることは、チェーンステーに相当する個所に貼られたステッカーで明示されている)
 

MGAがカタログに載っていた1991年から94年までの4年間と言えば、日本も世界もMTB特需の真っただ中、日本メーカーは旺盛な国内需要に対応するだけでも嬉しい悲鳴を上げていた頃であり、日本製自転車がまだまだ世界市場で強いプレゼンスを放っていた頃でもあった・・・実のところ、台湾勢の猛追を過小評価していた日本のメーカーの衰退が緩やかに始まっていた頃でもあったのだが・・・
 
決して遠くない将来に訪れる自身のブランドの終焉など予想もしていなかったであろうアラヤは、路線を拡大しながら走り続けていた。1991年にマグネシウム製フレームを、翌92年にはチタン製フレームを自社のラインアップに追加する。これで、チタン、カーボン、マグネシウム、アルミ、クロモリと5種類のフレーム素材のバイクを擁するようになっていた。
 
araya_mg_mg

MF26PRO-MGA

kirk_revolution_400lx_001
kirk_revolution_400lx_002
 

マディフォックスは対米輸出されていた!?

上で、「マディフォックスはUSに輸出されていなかった(ハズ)」と書いたが、なんと「マディフォックスUSA」を標榜するカタログを見つけてしまった!!
 
決して「アラヤUSA」ではないところがミソで、ロゴタイプから英国マディフォックスをUSに輸入する会社と判断される。カタログには、日本製マディフォックス、それもフィレットブレイズ仕上げがフューチャーされているので、1985年頃のものと分かる。英国版をそのまま流用したのであろう、4ケ国語で書かれたカタログには、バイクが日本製であることが明言されている。
 
「マディフォックスUSA」の所在地は、カリフォルニア州メンローパーク(Menlo Park)とある。メンローパークは、リッチーの所在地であるパロアルトの隣町で、カリフォルニアの自転車文化の中心地域のひとつと言って良いだろう。
 
東海岸にも「マディフォックス・イーストコースト」なる組織があることもカタログに載っている。場所はメイン州ヨーク群コーニッシュ(Cornish)。ボブ・リッチモンド(Bob Richmond)なる人物名も併記されているが、彼は「Cycle Imports of Cornish」名義で過去に英国から自転車を輸入していた実績がある。このことから、両社の名称から受ける印象に反し、「マディフォックス・イーストコースト」が組織の本体であるように思われる。
 
mountainbike_1988_feb
mf_uk_catalog_88a
mf_uk_catalog_88b
 今後、何か新しい情報が入ったら更新致します。