イセッタの追従者たち

1956 – 58 Heinklel kabine

 イセッタ、メッサーシュミットKRがキャビンスクーターの両巨頭というのは異存のないところでしょうが、その次点につけているのがハインケル・キャビーネといえましょう。戦後、航空機生産を禁じられたドイツの航空機メーカー、ハインケルはスクーター生産などで当面の糊口をしのいでおりましたが、当時のスクーターメーカーの多くがそうであったように、時代の要請からマイクロカーの設計、生産に手を伸ばします。

 ハインケル・キャビーネは、車体前面ドアをはじめボディ形状などが、あまりにイセッタに似ているため、ライセンス料を支払ったと言われることがありますが、私の知る限り、それはなかった模様。(ハインケルは、イセッタのように、乗降の利便性を高めるため、前面ドアの開閉に合わせてステアリング・ホイールが移動する機構は有していませんでしたが、これはイセッタのパテントに配慮してゆえとか)

 エンジンは自社製スクーターに使用されていた4ストロークOHV単気筒を流用しています。2ストエンジンを積むメッサーシュミットKRなどはエンジンを逆回転させてバックに対応しましたが、ハインケル・キャビーネは4ストゆえエンジンを逆回転できないため、この手のマイクロカーには珍しく、バック・ギアを備えていました。

 ハインケル・キャビーネは1956年から1958年の3年間製造され、エンジン排気量は174ccと198(204)ccの2 (3)種あり、またタイヤの数は3輪と4輪の2種があります。(204ccエンジンは保険区分との兼ね合いですぐに198ccに縮小されました)

イセッタのフロント部分とメッサーシュミットKRのリア部分を組み合わせたものがハインケル・キャビーネ、という印象です。

比較のためにメッサーシュミットKRのリア部分を載せておきます。


1960 – 66 Trojan 200

 ハインケル・キャビーネの製造ライセンスが英国トロージャン社に供与され、造られたものがトロージャン200です。

 ハインケル・キャビーネの製造ライセンスは、当初(1958年)、アイルランドのダンドーク・エンジニアリング(Dundalk Engineering Company)に供与されたのですが、1960年には早くも英国のトロージャン(Trojan Cars Ltd.)にライセンス供与先が変更されています。(これには、ダンドーク製は品質が低かったため、ライセンスが引きあげられたという説があります。それでも西ドイツ製12,000台に対し、ダンドーク製6,000台、トロージャン製6,000台と、ダントーク製もかなりの数が造られています。ほかトロージャンが、ライセンスを又貸しした、アルゼンチンのロス・クルードス(Los Credos)社製が2,000台も存在します)

1963 トロージャン200


1954 HOFFMANN Kabine 250

 ドイツの自転車メーカーだったホフマンは、1948年より、ILO製2スト単気筒エンジンを搭載した小型オートバイを製造するようになります。1949年にはべスパのライセンシーとしてスクーター製造を開始、これは大成功して6万台ほど製造します。(ホフマン製べスパは、今では貴重なコレクターズアイテムとのこと)まもなく自社製250cc水平対向OHV2気筒エンジンを積んだ本格的オートバイを世に出します。

 ホフマンは、さらにマイクロカー製作にも事業を広げることに決め、イソからイセッタ製造のライセンス供与を受けることを画策します。まずは既成事実化を目論んでか、ライセンスを得ないうちからホフマン・キャビーネ 250を製作し、イソとBMWがライセンスの折衝をしている最中の1954年に発表します。

 イセッタの特徴だった全面ドアは採用せず、ドアは運転席とは反対の右側に1枚のみ。左右2枚ドアのラクシュアリーモデルも準備されていました。

 ボディデザインのみならず、フレームのデザインもイセッタに酷似しています。

 エンジンは自社製オートバイ、グーベルヌール(Gouverneur)に使用していた250cc水平対向OHV2気筒を流用しています。

 ちなみに、BMWの水平対向エンジンがひとつのビックエンドを左右ピストンで共有する180度V2であるのに対し、ホフマンのクランクは位相差180度のふたつのビッグエンドを持ち、『正しく』ボクサーエンジン(左右のピストンの動きが対称)となっています。

 よく知られている通り、イソはドイツにおけるライセンシーにはBMWを選ぶのですが、それでもホフマンは、計画を進行させ市販に至ります。BMWはホフマンを訴え、ホフマンはBMWとの法廷闘争に負け、113台程度を市場に出した段階で、製造停止となります。

 これとは別に、高額な開発費をかけたグーベルヌールの売れ行き不振や、勝手な改良を理由にベスパのライセンス権をピアジオに引き上げられるなど不運は重なり、1954年、ホフマン社は破産します。


1955 Dornier DELTA

 メッサーシュミット、ハインケルと同じく、戦後、航空機製造を禁じられたドイツの航空機メーカー、ドルニエが1955年のフランクフルトショーでキャビンスクーターのプロトタイプ、デルタを発表しています。

 デルタの基本構想は、クラウディウス・ドルニエ Jr.(Claudius Dornier Jr.)によるもので、それを形にしたのが、ドルニエの若き設計者エルウィン・ハイマー(Erwin Hymer)です。

 製造は1台のみ、あるいは3台と2説あります。車体は航空機メーカーらしくスチール・モノコック構造。エンジンは ILO製、2スト単気筒197cc 9.5HP(最高速65km/h)の他、2スト単気筒300cc 14HP(最高速85km/h)の説もあります。(複数のプロトで異なるエンジンが採用されたのでしょうか?なお、ILO製はドイツの汎用エンジンメーカーで、小排気量の2ストロークを得意とし、農業機械やスクーターの他、マイクロカーでよく採用されていました)

 デルタのバックシートは進行方向と逆を向いています。エンジンは前後シート間、中心より右にオフセットして置かれています。


1957-58 Zündapp Janus

 プロトタイプで終わったドルニエ・デルタの製造ライセンスを購入したドイツのチュンダップ社は、1957年、ヤヌスとして市販します。


1956 JAWA MOTOREX 350

 オートバイメーカーとして歴史と実績とを兼ね備えたチェコのヤワ(Jawa)は、1956年にマイクロカーのプロトタイプを4台製作するも、生産に至らずに終わります。エンジンには同社市販オートバイ用としてスマッシュヒットを飛ばしていた2ストローク並列2気筒350㏄を積んでいます。


1957/1958 SFM Smyk 350

 ポーランドのオートバイ製造メーカー、SFM (Szczecińska Fabryka Motocykli)は、1957年、Smykの生産を開始するも、わずか20台をもって生産は停止されます。Smykは同じ共産圏の上記 Jawa Motorex に強い影響を受けていることが見受けられます。

 Smykのエンジンは4ストローク単気筒OHV350ccで、同時期にSFMが生産していたオートバイ、ジュナック(Junak)から流用されたものです。(実際にエンジンを製造していたのは ZSM社でした)

 驚くべきことに?この20台しか生産されなかったドマイナーなマイクロカーは、英国のタバコメーカー(Ewbanks Ltd)が1958年にタバコの景品として出していた「ミニチュアカーズ&スクーターズ」シリーズ25種の1枚になっています。

 このカードは、ここで紹介したメッサーシュミットKR200、べラム・イセッタ、チュンダップ・ヤヌス、ハインケル・キャビーネといった有名どころもきちんと押さえています。(マニアックな目の付けどころの半面、残念ながら考察は甘く、ヤヌスのリアシートが後ろ向きであることを描写できていません。また、ハインケルもタンデムシート配列で描写されています)


1954 Glas Goggomobil Prototype

 西ドイツ南部のバイエルン州ディンゴルフィンク(Dingolfing)に存在していたハンス・グラース社(Hans Glas GmbH)は農業機械のメーカーでしたが、べスパの成功に触発され、1951年にスクーターの生産を始めます。ゴッゴローラー(Goggo-Roller)と名付けられた流麗なスクーターは成功を収めます。

 1954年、グラース社は2ストローク空冷並列2気筒をRRレイアウトに積むマイクロカーのプロトタイプを製作します。これはイセッタ同様の前面ドアでした。

 しかし、1955年にゴッゴモビル(Goggomobil)の名で世に出た量産バージョンでは通常の側面ドアが採用されていました。ゴッゴモビルは、排気量では250cc、300cc、400ccを、ボディ形状ではセダン、クーペ、バンを選択できました。1955年から1969年までの15年間で約28万台が販売される大ヒット製品となり、スペインでライセンス生産も行われました。

goggomobil

 ゴッゴモビルの成功の勢いで、グラース社は小型車のみならず大型車にまで手を広げるもこちらは不振が続き、1966年末、BMWに吸収されてしまいます。(それでもグラース設計車はBMW製エンジンに積み替えられると、1968年まで生産は継続されます)


1948 Alamagny

 マルセル・アラマーニ(Marcel Alamagny)が1948年に発表した「未来カー」。エンジンは600ccのシムカ製水冷4気筒で、ボディサイズは、全長3420mm、全幅1600mmと決してマイクロカーではありませんが、前後ドアの開き方、ドライバーとパッセンジャーが背中合わせで座るシート形式、シート間に置かれるエンジンなど、上述のマイクロカーとの関連性は興味深いため紹介しました。


1953-56 Meyra 200

  ドイツのマイラ(Meyra)はウイルヘルム・マイラ(Wilhelm Meyer)が製造、市販した3輪4座のマイクロカーです。エンジンはLIO製のストローク200㏄エンジンが使われています。ドアがフロント前部にある(ただし片側のみが開く)のでご紹介。

1953 Meyra 200

1955 Meyra 200-2


1957 Home-made Isetta by Oszkar Beke

レプリカ・イセッタ

 英国のTri-Tech Autocraft社がキットフォームあるいは完成車で製造、販売するイセッタレプリカがZettaです。

 角断面鋼管によるラダーフレームとファイバーグラスボディはTri-Tech製。エンジンはホンダCN250の水冷単気筒250cc+ATあるいはカワサキGPS500の水冷2気筒500cc+MTを選択可能。その他パーツのドナーは、フロントサスとステアリングはGMベッドフォード(スズキ・スーパーキャリー)、ドラムブレーキはBMCミニ、といったところです。車重はおよそ 300kg。値段はキットで GBP2,650 より。完成車で GBP9,450 より。

 現在、Tri-Tech社は Zettaの生産を停止、会社の操業自体も終了していると考えられています。日本のTri-Tech社の代理店は、静岡県掛川市にある有限会社コロフィーが行っていたとのことですので、そこで何か情報を得られるかもしれません。最近の英国のネットオークションに Tri-Tech で組まれた完成車のZettaが出品されていました。GBP5,433で出品され、GBP5,976.3で落札されています。

 外装はかなり良い出来です。

 意外にも内装のトリムもしっかりしています。

 フレームはその辺に転がっている安手の軟鋼材のようで、溶接も溶け込みが甘く、見た目も汚いのが残念。

 エンジンはオーナー自身の手によってスズキ・バーグマン(スカイウエイブ)400に交換されています。スクーターをトライクに改造するために市販されているデフケースを使って、リアを2輪にできそうですね。

リメイク・イセッタ

1980 Diaseta

 オートパーツ製造業者のABCがサンパウロの輸出展示会で展示。ロミ・イセッタをベースに外装を小変更したもの。(灯火類をビルトインした前後バンパー(ファイバー製)、オーバーフェンダー、エアスクープを追加。テールランプはフィアット147から流用)中身はベース車両のロミ・イセッタのまま。

2013 DURAX D-Face

 日本のメーカーによる超小型EVモビリティ。

 以下の画像はすべていわゆる「予想CG」です。BMWがイセッタをモチーフにした電気自動車を出す(のでは?)という文脈で紹介されているものです。さすがにどれも前面ドアではありませんね。

 

[ 5 ] につづく