1970年代に彗星のように現れ、活動数年で個性的なキットを十数点残して業界の歴史に爪痕を残すも儚く消えていったマックス模型を語る。

マックス模型が伝説であるのは、そのラインアップの特異性のみならず、その中心スタッフに日本アニメーション界の最重要人物である「大塚康生」氏が、一時期アニメの仕事を投げ打ってまで携わっていたことにある。(マックス模型が成功していたら、日本のアニメーションの歴史は変わったものになっていたであろう!)

 

参考文献

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モデルグラフィックス 創刊号(1984年11月)

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マックスの伊藤さン、完全に小池一夫ワールドの登場人物なンですが・・・

[以下要点]
●昭和47年10月 マックスの伊藤、牧野が発売前のM26の図面をもって大塚のもとに来訪がすべての始まり。

●マックス模型の社員は、伊藤、牧野、荻田の3人。

●M26の出来はひどいものだった。(まず寸法が間違っている。構造も実車とは違う)

●昭和48年3月 大塚案のダッジ・シリーズに取り掛かる。

●最大限パーツを共用したという大塚案は以下の9案。うち5案が採用された。

     1.WC-51、52  ウィポンキャリア
     2.WC-53      キャリオール           (不採用)
     3.WC-54      アンビュランス
     4.WC-56、57  コマンド
     5.WC-65      K.D.アンビュランス     (不採用)
     6.WC-62、63  6x6パーソナルキャリア
     7.M6         37ミリガンキャリッジ
     8.M37        カーゴトラック         (不採用)
     9.M43        アンビュランス         (不採用)

●このうちM37は大塚の趣味で、パーツの共有はほとんどないが、あわよくば・・・と思ってリストに混ぜておいたもの(笑)

●期待したほど売れなかったが、全体では利益は上がった。

●コマンドは一番売れた。

●37ミリガンキャリッジが一番売れなかった。

●カートゥーンシリーズ「マックスGP」は(意外にも)伊藤の発案

●「マックスGP」は売れたので次キットが準備された。「M3リー」および「ユンカース・スツーカ」。

●(今の目で見ればとてつもなく贅沢なことに)M3リーは大塚が、スツーカは宮崎駿がスケッチを描いた。図面、木型まで行ったが、最終的にボツとなった。

●ダッジに続くシリーズは以下の通り

      ●CMP            (7種を予定。2種をリリース)
      ●GCM 2・1/2トン (6種を予定。1種をリリース)
      ●ベッドフォード (4種を予定。1種をリリース)
      ●M3スカウトカー (単発リリース)
      ●M62            (3種を予定。リリースなし)

●人気はドイツ物と分かっていたが、零細企業の予算で現地取材ができるわけでなし、細部が分からないので手を出せなかった。

●唯一のドイツ物、RSOガントラクターは、牧野の古い友人、富岡吉勝の企画で完成した。MAX名義では出せず。

●CMPとM3スカウトカーも富岡の設計。

●マックスはトミーに身売り、吸収され、やがて消滅。

●マニアは会社をダメにする。

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大塚康生インタビュー
-アニメーション縦横無尽-(2006年2月)

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[以下要点]
●アニメーターは面白いが、しんどい商売。プラモづくりは楽な上に面白い。企画部長を任せたいという話が舞い込んできて、それに乗ることにした。

●マックスには企画部長として入社した。(Aプロは退社した)

●マックスは台東区蔵前にあった。

●わずか2、3名の会社のこと、企画部長といっても、風呂敷抱えての問屋回り、金型屋への値切りなどせざるを得ず、どんどん営業マン化していった。

●社長が「こんなに売れないんじゃ、もうやめようか」といい、大塚は「うん、やめよう」と同意した。

●金型は大塚がアメリカに持って行って、全数を売りさばいた。売り先はペンシルバニア州のピアレス社。

●ピアレスの社長ゴールドバーグはすぐにエアフィックスに金型を売り飛ばした。

●エアフィックスは世界的にマックス開発のキットを売り出してくれた。

●エアフィックスは金型をイタレリに売り渡した。

●イタレリでは今でもマックス開発のキットを売っている。

●マックス時代は大塚のキャリアの中でも秘史に属する。

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日本懐かしプラモデル大全(2016年12月)

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[以下要点]
●70年代にMAX模型の仕事をするようになったときは、アレコレ資料を提供した。

●「フォードGP」のときは、最初にデザイン画を描いて原型を作っていただき、組立説明書や箱絵を描いた。

(「秘史」ゆえか、外部者的視点で過去を語っている。ライターの仕事かもしれないが)

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ホビージャパン ヴィンテージ(2018年3月)

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[以下要点]
●マックス模型の創業は1970年代。前身はテトラ模型。
[追記] 1972(昭和47)年10月の模様

●テトラ模型の創業者は伊東某[追記] 実際は「伊藤」)。元タミヤの設計スタッフ。

●テトラの創業は1960年代後半。本社は東京荒川区。

●テトラ模型は業績不振で1971年1月17日をもって解散。

●発売予定だった「1/32 M-26A-1 ヘビートレーラー」および「1/32 45t トランスポーター」は未発売に終わる。

●マブチモーター営業部長だった牧野博明が経営者として入り、伊東([追記] 実際は「伊藤」)とともにマックス模型が設立された。

●マックス模型の本社所在地は台東区駒形、株式会社を名乗りながら法人登記していなかった。

●マックス模型はホビージャパンを介して大塚康夫氏を紹介してもらう。

●1973年3月、大塚はアニメーターの仕事を一旦止めて、マックス模型の企画部長に就任する。

●かくしてマックス模型のラインナップは大塚の趣味が炸裂するものとなった。

●マックス模型の金型製作は、すべて平塚の太田精機。

●マックスのソフトスキンは主流のドイツ物ではなかったため、販売面で苦戦した。さらに他社のソフトスキン参入が苦境に追い打ちをかけた。

●人手が足りず、大塚自ら営業マンとなって問屋を回った。

●ギブアップが近いと感じた大塚はペンシルバニア州フィラデルフィアのピアレス社に金型売却の算段を付ける。

●ピアレスはエアフィックスにマックスの金型を売却したため、別名義で世界に広がることになった

●マックス模型は当時千代田区平河町にあった京商に吸収される。

●1970年代半ば、マックスの設計担当は富岡吉勝だった。彼は学生時代、タミヤで伊東([追記] 実際は「伊藤」)の下で設計のバイトを経験し、大学卒業後はフジミに入社し、1/76 ワールドアーマーシリーズの設計を担当した。その後、マックス模型に入社していた。

●富岡がドイツ物のRSOトラクタを企画、設計する。富岡はカナダでRSOトラクタの実車取材を行っていた。これがマックス最後のキットとなった。

●富岡はRSOの次に「ドイツI号戦車D型」と「Sdkfz.251D」の設計に着手していたが、未完に終わった。

●CIC(コンソリデーテッド・インダストリー・コーポレーション)という会社が京商と同じビルに入っていた縁で、マックスで形にならなかったベッドフォードを引き継いで製品化を果たし、ピアレスCICレーベルで海外で販売した。

●ベッドフォードの設計はハセガワ出身の澁谷祐明。

●伊東([追記] 実際は「伊藤」)はマックス解散以後、フリーの設計者として生計を立てる。

●トミーはマックスの金型を使ってFVシリーズを売り出す。

●当時、トミーはイタレリと提携しており、トミーつながりでイタレリでもマックス金型の製品が売られることになった。

●マックス・カートゥーンシリーズ No.1 フォードGPはアニメーターの大塚ならではの企画。

●オオタキに渡ったフォードGPの金型はオオタキの倒産で行方不明となっている。

●大塚談:模型店でマックス模型のドラゴンワゴンを見て、その出来の悪さ、とにかく似ていないこと怒った。

●大塚談:マックス模型から企画・開発協力の依頼があった。

●大塚談:箱絵に高荷義之を起用したのは大塚。高荷とはミリタリー愛好グループ「三土会」でつながりがあった。最初の作はダッジ1/4コマンドカー。

●大塚談:印象深いキットはベッドフォード。ボービントン博物館長ホワイト氏から設計に必要な図面を直接もらった。

●大塚談:金型はピアレス、エアフィックス、イタレリの順で流れていった。

●大塚談:エアフィックスは英連邦国で売っただけだった。

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疑問点

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以上の青文字の個所が事実誤認、あるいは事実不明瞭と思われる点である。以下列挙する。

●マックスの代表の名は、伊藤か伊東か?
[追記] どうやら「伊藤」が正しいようだ

●大塚がマックスのM26を見たのは、発売前の図面か、発売後の商品か?

●カートゥーンシリーズ・フォードGPは伊藤の企画か?大塚の企画か?

●マックスの所在地(台東区蔵前か?駒形か?)

●金型の流れがいまいち不明瞭(大筋はピアレス→エアフィックス→イタレリであろうが、CICやトミーがどのタイミングに、どのように係ったのか?)

●マックスの製品を世界に広めたのは、エアフィックスと言うよりイタレリと言うべきではないか?

●解散後のマックスが身を寄せたのはトミーか?京商か?

 

テトラ模型


タミヤで初期の1/35パンサータンクの設計にかかわった伊東某氏([追記] 実際は「伊藤一郎」)が独立して創業したメーカー、1960年代後半に創業、1971年1月に解散とのこと。(HJV誌)

HJV誌にはテトラの所在地は「東京都荒川区」とあるが、広告には「東京都台東区駒形2-6-3」との記載がある。

これは記事の著者が取材時に誤情報を拾ってしまったか、本社とは別に工場か倉庫かが、荒川区にあったのかもしれない。

[追記] 昭和43年1月末日、「伊藤一郎」がテトラ模型の経営が降り、「蛯原武雄」が新たな代取に収まっている。もしかすると蛯原政権時代のテトラの所在地が荒川区にあったのかもしれない。

なお、テトラを前身とするマックス模型の所在地は「東京都台東区駒形2-4-7」に存在した。同じ駒形2丁目内だが、さすがに番地は異なる。雑居ビルから近くの雑居ビルに居を移したのであろう。電話番号も 03(844)1444 へと変更されている。

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1/32 U.S.機甲師団シリーズ

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私が確認できた限り、テトラがリリースした製品は、1/32のミリタリー物2点(カーゴトラック、ハイウェイトレーラー)と1/16のカーモデル1点(シャパラル2C)のみ。ボックス横で予告されていた「1/32 M-26A-1ヘビートレーラー」と「1/32 45tトランスポーター」は発売されることはなかった。(これらはマックス模型となってから、1/35として世に出ることになる)

[No.1] カーゴトラック

1967年7月 モーターライズ ¥400

[No.2] ハイウェイ・トレーラー

1967年8月 モーターライズ ¥800

テトラ模型解散後、M-36の金型は同じ駒形2丁目のバンダイの手に渡り、「ダイアモンド M-36」として再販されている。当時、バンダイは1/30スケールでミリタリー物を展開していたためスケール表記が1/32から1/30に替えられている。価格は600円であった。

[参考]バンダイ 1/30 スケール


1/30 4号G型 \600 1970/01


1/30 ホイシュレッケ \600 1970/11 / 1/30 ヤクトパンツァー \600 1970/11


1/30 61式中戦車 \800 1972/04 / 1/30 フンメル \600 1972/07

当然というべきか、バンダイ1/30は、吸収した第1期イマイに源流がある。

 

MAX模型


MAX模型は解散したテトラ模型の業務を引き継ぐ形で設立された。設立年月は不明。すくなくともテトラ解散の1971年1月以降。([追記] 1972(昭和47)年10月らしい)HJV誌には、MAX模型は株式会社を名乗っていたが、法人登記を確認できなかったとある。記事の著書が、登記簿から関係者を割り出そうとして判明したのだろう。昔は自営業者が見栄で株式会社を名乗るなんてこともあったようだが・・・明らかに商法違反の犯罪行為である。会社の登記なんて、プラモデルの金型作るよりもはるかに簡単と思われるのだが。そんなMAX模型を伝説たらしめたのは、アニメーターとして著名な大塚康生氏を企画部長として招聘したことにある。一方、「大塚の趣味で会社を潰した」との評も聞く。

1974年末に活動停止までにMAX名義で国内販売したキットは以下の 3+1+6 の10種。

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1/35 ミリタリー車輛シリーズ

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[No.1] 45t タンクトランスポーター M15-A1

¥1,500 1972/11/1

[No.2] 155㎜榴弾砲 M-26 トラクタートラック

¥1,500 1972/11/1
モーターライズ

[No.3] 155㎜榴弾砲

¥600 1972/12/1


 

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マックス・カートゥーンシリーズ

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[No.1] フォード GP ジープ 1940年

¥350 1973/7/1
デフォルメモデル 1/4tトレーラー、ベース台付
マックスカートゥーンシリーズNo.1
大塚康生氏

1/48 オオタキ ジープ・フォードジーピー

1979年6月 200円
なぜか、このフォードGPジープの金型だけは、オオタキに引き取られた。残念ながらキットの主役ともいえる2体のフィギュア(とベース台)はオミットされている。


大塚康生氏のジープ愛は、タミヤのラジコンで昇華した。

マックスの組み立て説明書で見られた水先案内人。手書き文字だが誰の筆によるものだろう。

以下は大塚氏13歳の時のスケッチに添えられた書き文字であるが、「こ」や「し」の書きグセが共通しているように思われる。

[比較] タミヤの組み立て説明書でおなじみのドイツ戦車兵。マックスのG.I.とは好対照と言える。


 

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1/35 ミリタリービークルシリーズ

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[1][No.3503] 3/4トン ウィポンキャリア ビープ

¥800 1974/8/1
カーゴトレーラー、ウォータータンカー、人形3体付

[2][No.3504] M6 37㎜砲トラック

¥700 1974/12/1

[3][No.3505] ダッヂ 3/4トン コマンド(指揮偵察車)

¥800 1974/8/1
カーゴトレーラー、ウォータータンカー、人形3体付

[4][No.3506] 1トン半 兵員輸送車

¥1,000 1974/10/1

[5][No.3507] ホワイト・スカウトカー M3A1

¥900 1974/12/1

[6][No.3508] C.M.P トラック

¥800 1974/12/1

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ロゴタイプの変遷

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トミー・ファイティングヴィークルシリーズ


イタラエレイ(現在のイタレリ)の輸入代理店だったトミーは、、イタレリのキットと(自社管理の金型およびピアレス管理の金型の)旧MAX模型のキットを組み合わせて、自社のファイティングヴィークルシリーズとして販売している。

[3501][No.1] ベッドフォード QL ガンポーティー

¥1,200 1975年11月 ドライバー1体付

[3502][No.2] M-26/M-15A1 ドラゴンワゴン

¥1,000 1976年1月 モーターライズ

[3503][No.3] シボレー フィールド ガントラクター

¥800 1976年4月

[3504][No.4] C.M.P 軍用トラック(6ポンド砲付)

¥1,000 1976年4月

[3508][No.8] ドイツ RSO/01 ガントラクター

¥900 1976年11月

[3516][No.16] ダッジ ウェポンキャリア

¥900 1977年3月 CIC製品

[3517][No.17] ダッジ パーソナルキャリア

¥1,000 1977年3月 CIC製品

[3518][No.18] M3A1 スカウトカー

¥900 1976年12月

[3519][No.19]ダッジ WC-54 フィールドアンビュランス

¥900 1977年3月 CIC製品

[3521][No.21] GMC CCKW353 カーゴトラック

¥1,200 1977年11月 人形2体付

 

ピアレス MAX / ピアレス CIC / ピアレス 版

[3501] 45t タンクトランスポーター M15-A1

[3502] 155㎜榴弾砲

1974

[3503] 3/4トン ウイスポンキャリア ビープ

1974

[3504] M6 37㎜砲トラック

1974

[3505] ダッヂ 3/4トン コマンド(指揮偵察車)

1975

[3506] 1トン半 兵員輸送車

1974

[3507] ホワイト・スカウトカー M3A1

1975

[3508] C.M.P トラック

1976

MAX名義ではリリースされなかったもの

[3509] ベッドフォード QL ガン・ポーティ

1974

[3510] カナディアンシボレー・フィールドガントラクター

1976

[3511] ダッジ 3/4 救急車

1977

[3512] シュタイヤ RSO/01 トラクタ

1978

[3513]

該当なし(忌み番だから外されたのだろうか?)

[3514] GMC カーゴトラック

1978

 

シュライバー MAX版

 

エアフィックス版

 

イタレリ版

[201] GMC タンクローリー

[205] GMC カーゴトラック

[226] ダッジ 3/4 救急車

[227] シュタイヤ RSO/01 トラクタ

[228] ダッヂ 3/4トン コマンド(指揮偵察車)

[230] 1トン半 兵員輸送車

[231] ホワイト・スカウトカー M3A1

[232] 155㎜榴弾砲

[233] C.M.P トラック

[237] 3/4トン ウイスポンキャリア ビープ

[240] カナディアンシボレー・フィールドガントラクター

[241] ベッドフォード QL ガン・ポーティ

[245] M6 37㎜砲トラック

[323] 6ポンド砲

[324] ネーベルヴェルファー

[325] トラック・クルー

 

金型のゆくえ

マックス解散後、金型はいきなり海外に流出したのではなく、しばらく国内にあって、ピアレスが使い、トミーが使った時代があった。これを以下のようだったと推測する。

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考察 1

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テトラ模型同様、マックス模型もUSへの輸出志向は強く(ボックスデザインを見れば一目瞭然)、USの商社ピアレスの販路を使い、自社製品を輸出していた。(ピアレスMAX)

中小から零細まで、当時、この形式(日本の見本市に海外からバイヤーが来て、めぼしい商品を見繕うとOEM的に供給を受ける契約を結ぶというパターン)でプラモデルを海外に売っていたメーカーは多かった。

マックスが営業を停止すると、未完成の業務(たとえばベッドフォードガンポーティ)をCICが資金を出すなどして、完成にこぎつかせた。そうしてできた商品の権利はCICが所有したが、国内ではトミーが、国外ではマックス時代と同じくピアレスが販売した。(トミー・FVシリーズ/ピアレスCIC)

マックスは、まだCIC管理以外の金型の所有権を有していた。ゆえにピアレスMAXとピアレスCICのブランドは混在していた。

イタレリと提携していたトミーは、マックス&CIC製品、イタレリ製品を統合してトミーブランドで国内販売する一方、マックス&CIC製品をイタリアにも送っていた。(イタレリでのボックスアートがイラストの時代)

マックス、CICとも金型の所有権をピアレスに売却することになり、ここでブランドは単体でピアレス名義となる。しかしピアレスには生産能力は無いため、以前と同様、金型自体は日本に置き、生産は日本で行っていた。(ピアレス)

トミーはあらためてピアレスと契約を結び、ボックスにピアレスのロゴを入れて、旧マックス/CIC製品の国内販売を行うこととなる。生産はまだ日本。

ピアレスが金型の売却先を見つけたのだろう、ついに金型がアメリカに送られる時が来る。ここでトミーはマックス製品の販売を止めざるを得なくなる。

ピアレスは、金型がアメリカに着くと、そのままエアフィックスに売り飛ばした。(USでキットは生産されなかった)

エアフィックスは英連邦国で自社製品として販売した後、イタレリに金型を売り渡した。(イタレリのボックスアートがバーリンデンによる作例の時代)

イタレリは長期間にわたり、旧マックス製キットを売り続けている。マックスの金型はついに安住の地を得たかと思われたが・・・

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考察 2

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考察 3

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TOMY FV Series


倒産したMAXの金型はいろいろなメーカーの名で売り続けられた。CIC、ピアレス、トミー、エアフィックス、イタレリ・・・そしてタミヤ。MAX模型で市販に至らなかった5種が追加されている。

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考察 4

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Peerless OTAKI

ピアレスと模型メーカーとの関係の在り方のヒントがある。
足立区千住緑町3-10大滝製作所
大滝が輸出にピアレスを利用。
大滝の紹介でマックスもピアレスを利用
マックスが廃業した際、大滝がフォードGPの金型を持っていたのも縁があってのことだろう。
これらカーキットは1/12は童友社、1/16はフジミの手に渡っている。

 

まわりまわって・・・

タミヤ・イタレリ