最近はさすがにほとんどなくなりましたが、ちょっと前まで、db1のフレームデザイナーをマッシモ・タンブリーニと誤解している人は少なくありませんでした。(とある雑誌では、タンブリーニのデザインの系譜、とかなんとかいうテーマで、ビモータdb1、ドゥカティ916、MVアグスタF4の3台を集めたことすらありました!!)

 ええ、ご存知の通り、db1のデザイナーは、タンブリーニがビモータを去った後、チーフデザイナーに就任したGPM出身のフェデリコ・マルティニです。(この時代のビモータはマルティニの他、そのアシスタントにP.マルコーニとR.ウゴリーニの3人体制でした)

 実は、db1のフレームには元ネタがあるのです。

 マルティニの古巣GPMは、1979年、ドゥカティ・チューナーのピエトロ・ジャネシンによって設立されたレーシングチームですが、そのGPMが1980年よりF2クラスで走らせていたレーサーがそれで、当然、マルティニの作です。

 以下のdb1のフレームとGPMレーサーのフレームとを比べて、類似している・・・というか、そのものであることが見受けられるでしょう。(大きな違いは、Rサスの懸架方式が異なることくらいでしょうか)

 db1は、マルティニのビモータにおける初作品ですが、当時のビモータは資金難による倒産寸前の状態にあり、ろくな開発資金も無い中、とりあえず手持ちのネタを再利用して一台仕上げてみました、という苦しい事情が垣間見れなくも無いのですが、結果が全てであり、創業以来の大セールスかつ、ビモータ1、2を争うほどの名声(特に日本において)を収めるものとなったわけです。(db1の成功によりビモータは経営危機から脱することができました)

 db1のフレームついでにもう一つうんちく・・・以下の画像は、db1のワークスレーサー1号車(D.タルドッツイ車)ですが、シートレールがアルミ製になっています。

 ちなみにdb1レーサーは8台(+フレームのみ1基)製造されたのですが、2号車以降のシートレールは市販車と同じ構造、材質となっています。

 さらにちなむと、マルティニの古巣GPMとビモータの関係は深く、db1RのエンジンチューニングはGPMが担当します。ビモータワークスライダーとして活躍したダビデ・タルドッツイとバージニオ・フェラーリ(1987年、YB4でF1クラス・チャンピオンとなる)は元GPMのライダーでした。またマルティニが去った後の作、db2SRのエンジン・チューニングもGPMが担当しました。

 画像のワークスレーサーのシートレールがアルミ製の別体となっているところに注目して下の画像を見てください。

 カジバは、経営破綻で政府管理下にあったドゥカティと1983年より提携し関係を深め、1985年には同社を完全に買収し傘下に置きます。カジバは、提携当初から買収後も、ドカをカジバへのエンジン供給メーカーとしてのみ考えておりました。

 1984年、ドゥカティ・エンジンを使ったカジバの次期フラッグシップの試作を、ビモータを抜けたタンブリーニが率いるCRC(カジバリサーチセンター)と、まだdb1を世に出していなかったビモータ社との2社に依頼しました。

 CRCの提案がパゾでした。(結局、こちらが採用されますが、カジバブランドからではなく、紆余曲折の末、ドゥカティのロゴが付いてのデビューでした)

 ビモータの提案が、上の画像のモデルです。db1との開発次期とどう重なるのかは当方は不明ですが、カジバに提示されたのが85年の春のことで、db1は85年の秋のデビューですから、少なくとも表に出たのはこちらが先であったわけです。(ビモータ案がカジバに採用されていたらdb1は世に出なかったかもしれません!?)

 余談ですが、ビモータ案は、85年に出たカジバ・アラズーラのスタイリングに反映されていると思えませんか?

1985 Cagiva Alzzurra 650

 仮に、db1がこのデザインで出たらとしたら、いくら同じ走行性能を持ってしても、現在のような支持は無かったと思われますね。

 そう、db1をdb1として特徴付けているフルカバードのカウルですが、これはタンブリーニのアイデアを基にした、とされています。タンブリーニ本人の弁として、db1のフォルムは、まだビモータに在籍した頃に社に残してきた自分のスケッチが基になっているはず、とのこと。(この頃、タンブリーニはフルカバードによるエアロダイナミクスに凝っていました。以下は1984年にタンブリーニがチーム・ガリーナのためにフレーム&カウリングをデザインしたTGA-1)

1984 Gallina TGA-1

 さらに付け加えますと、そのアイデアをタンブリーニ本人がCRCで形にしたのがパゾなのです。つまり、タンブリーニのひとつのデザインスケッチから、ビモータではdb1が、カジバではパゾが生まれたのです。一見、何の関係も無いdb1とパゾですが、かように深い関係にあることに驚かされます。

 この一連のエピソードは、ランボルギーニ・ミウラのデザインは、ジョルジエット・ジウジアーロがベルトーネ時代に残してきたスケッチが基になっているとか、そうではなく、後任のマルチェロ・ガンディーニの完全オリジナルだ、とかいう論争がありましたが、それに似ていなくも無いような気がしませんか?

 1965年、ベルトーネの社主、ヌッツオとの確執で、27歳のジウジアーロは急遽、ギアに移籍しますが、その空席についたのが同じ27歳のガンディーニでした。すでに経験豊富であったジウジアーロに対し、ガンディーニは才能の片鱗は見せつつも、まだ実績のない青年でした。

Young Giorgetto Giugiaro and Marcello Gandini

 彼はベルトーネ入社後、すぐにミウラのスタイリングを担当し、見事、その大役を果たしますが、その仕事は、よく知られている通り、絶賛をもって受け入れられます。ただ、ジウジアーロが、ミウラのデザインは自分がベルトーネに置いてきたスケッチが元になっている、と述べたこと、および、その後のガンディーの前衛的な作風の中でミウラだけが異質なことで、ミウラの真のデザイナーは誰か?という議論が当時から現代にいたるまでの長い間、人口に膾炙されることになります。

giugiaro

 最近、表に出てきた”ジウジアーロのミウラ”のスケッチ(3案)

 ”ガンディーニのミウラ”に似ているでしょうか?

 蛇足ついでに・・・ジウジアーロによるひとつのスケッチから、FIATではウーノ、日産では初代マーチ(マイクラ)が生まれた経緯があります。

FIAT UNO / NISSAN MICRA (K10)

db1とバゾ、両者のスタイリング評価の差は、ウーノとマーチのスタイリング評価の差と似ているように思えます。 、どっちがウーノでどっちがマーチかは、各人の受け取り方によって、ご自由に・・・ということで。