えーと、今回のテーマはロータリーですか。


 これこれ、ブルボンのホワイトロリータ。発売は、なんと昭和40年(1965年)だそうです。驚異のロングセラー!!


 と、軽いジャブを飛ばしたところで、本題です。

 日本では、マツダがそう呼ぶことを推し進めたことから、ロータリーと言われる、そのエンジンですが、発祥の地であるヨーロッパでは、実用となる原型を考案した人の名字から、ヴァンケル・エンジンと呼ばれます。アメリカでは、ロータリーともヴァンケルとも呼ばれている印象です。

 実のところ、ヴァンケル・エンジンが登場する以前は、ロータリー・エンジンといえば、初期の航空機用の星型エンジンにあった、機体にクランクを固定しシリンダーとクランクケースを回すもののことでした。

 目的は主にエンジン冷却なのですが、重量物を高速回転させることで失われるエネルギーや、ジャイロ効果により損なわれる操縦性は大きいことは分かった上で、それでもそうしたというのは、当時、エンジン冷却にいかに頭を悩ましていたかということなのでしょう。

 で、こっちの方のロータリーエンジンを積んだオートバイというのもあるんですよ。1921年、ドイツで造られたメゴラです。設計者であるメイクスナー(Meixner)、コッカレル(Cockerell)、リンツ(Landgraf)の3人の名字の頭をとってMEGOLAと命名されました。(COはGOに置き換えられていますが)

 クランクシャフトがフロントアクスルに直結している、640ccサイドバルブ5気筒は14HPを発揮し、最高速度は85km/h(レース仕様は140km/h)とのこと。なんと2000台もつくられたそうです。

1921-25 MEGOLA

ヴァンケル・エンジン開発の歴史

 レシプロ・ピストン・エンジンのように往復運動を回転運動に変換するような無駄がないロータリー・ピストン・エンジンは、理想的な内燃機関として大昔から研究されてきました。(実際、動かしてみれば、そのメリットもデメリットを覆い隠すほどではなかったのですが・・・)

Dr. Felix Wankel (1902-1988)

 フェリックス・ヴァンケル(Felix Wankel:のちにヴァンケル・エンジン開発の功績が認められ、名誉博士号が贈られる)は、ロータリーエンジンに、ルーローの三角形状のローターとエピトロコイド形状のハウジング・・・一般的には、おむすび型のローターとまゆ型のハウジングを組み合わせて使用することを発案しました。

 ロータリー・ピストン・エンジンの研究を自分の会社、ヴァンケル社で行っていたヴァンケルは、1951年からNSUとの共同開発を始めると、1957年には、1954年式ロータリーエンジン(DrehKolbenMotor)を意味する”DKM 54″(1ローター・125cc)の運転を成功します。初期のヴァンケル・エンジンは、ローターだけではなく、ハウジングも回転する仕組みでした。

DKM54

 NSUのエンジニア、ハンス・ディーター・パスケ(Hanns Dieter Paschke)は、ヴァンケルのDKM型と同じおむすびローターを使用するも、エクセントリック・シャフトを採用することで、ハウジングは回転しないで済む構造の、57年式ロータリーエンジン(KreisKolbenMotor)、”KKM 57″を考案し、1958年、その運転に成功します。DKM型に比べ、はるかに高効率であったKKM型が現在のロータリーエンジンの原型となります。

KKM57

 NSUは、KKM型の運転成功をもって、ヴァンケル・エンジンの製造ライセンスの販売を開始します。それ以降の『未来のエンジン』の熟成は、各ライセンシーの手にも委ねられることになったのです。

 しかしながら、運転には成功したというものの、実用には程遠い状態で、過大なオイル消費とそれによる白煙、燃費の悪さ、アイドリング時の振動、といった諸問題のほか、チャターマーク(ローター頂部のシールが共振することでハウジング壁面についてしまう傷)という信頼性に関係する最大・最悪の問題が未解決のままでした。(これらを解決し、さらにさまざまな改良を付与し、ヴァンケル・エンジンに真の実用性を与えたのは、当初NSUから何の期待も・・・それは言い過ぎか・・・たいした期待もされていなかったであろう日本のちっぽけな一ライセンシー、東洋工業でありました)

Curtiss-Wright

 1958年、世界最初にNSUからライセンスを購入したのは、USの名門カーチス・ライトでした。名門、といっても、戦後のジェットエンジン開発に乗り遅れ、斜陽となっていましたが・・・それでも、エンジン開発に長けたカーチス・ライトが一番乗りで援護射撃を与えてくれたことは、NSUにとって、どれほど心強く感じたことでしょう。1961年には早くも、主に軍用にヴァンケル・エンジンの販売を始めます。(彼らは同時に、北米地域のヴァンケル・エンジンのライセンサー(ライセンス供与者)にもなっています)

 この巨大なヴァンケル・エンジン(RC1-1920)は、1960年にエンジンサイズ検討用に試作されたものです。ワンローター、総排気量はその名の通りの1,920cui(31,460cc)は、1,525rpmで782psを発しました。

1960 Curtiss-Wright RC1-1920

NSU

 特許を所有するNSUのお膝元の西ドイツでは、フィテル&ザックス(Fichtel & Sachs)、ダイムラーベンツ、マン、ポルシェ、独フォードなど計8社がライセンスを購入しました。このうち、大本のNSU(自動車)とフィテル&ザックス(汎用エンジン)の2社が市販にこぎつけています。

 1964年、NSUは世界初のヴァンケル・エンジン搭載量産車として、スパイダーを発売します。

1964-67 NSU Spider

 スパイダーは、すでに生産していたスポーツ・プリンツのクーペボディをオープンに改装し、OHV直列2気筒598cc・38bhpのレシプロ・エンジンを、1ローター・498cc・50bhp(後期型は54bhp)のヴァンケル・エンジンに載せ替えたものです。駆動方式はリアエンジン・リアドライブです。

 しかし、これは功を急いだ時期尚早の判断でありました。未熟成のヴァンケル・エンジンはトラブルが多く、メーカーはトラブルへのクレーム対応に多大なコストを負担しなければなりませんでした。スパイダーの3年間の総生産数は、2,375台に過ぎませんでした。

KKM502 for NSU Spider- 50bhp@5,500rpm(early) / 54bhp@6,000rpm(late)

 モータースポーツにはNSUはスパイダーをワークスカーとして使用することはありませんでしたが、プライベーターの手によって多数参加しており、レース用エンジンとしては素姓の良いヴァンケル・エンジンのコンパクトさや出力特性によって、成果を残しています。

西ドイツヒルクライム選手権

 1967および68年には、NSU使いで名を馳せていたジークフリートシュピース(Siegfried Spiess)が総合優勝を獲得しています。

1967年モンテカルロラリー

 #85のフランス人コンビ、ジェラルド・ラルース(Gérard Larousse)と ロベルト・イスカルド(Robert Yschard)が49位となっています。

 スパイダーを発売した翌年の1965年のフランクフルト・ショーには、NSUは2ローターユニットを発表します。

 1967年には、それを積んだ4ドアセダン Ro80を市場に出します。Ro80は、2ローター,498×2=996cc、113bhpのヴァンケル・エンジンにセミオートマチック・トランスミッションを組み合わせ、FFで駆動します。その先進性から1968年のCOTY(カー・オブ・ジ・イヤー)に選ばれています。

1967-77 NSU Ro80

KKM612 for NSU Ro80

 とはいえ、良かったのはそこまでで、Ro80にも、エンジンの耐久性のなさを始めとするさまざまなトラブルが頻出し、カー・オブ・ジ・イヤーの栄誉から、一転、欠陥車の汚名を着せられることに相成ります。

 もともと経営規模は大きいといえなかったNSUにとって、Ro80の失敗の傷は深く、1969年、NSUはフォルクスワーゲンに吸収され、NSU・アウトウニオン・Audiとしてそのグループの一角を成すようになります。(1985年に社名はAudiとなり、NSUブランドは完全に消滅)

 とはいえ、Ro80の生産・販売はVW傘下になった後も続けられ、生産中止までの10年間に(わずか)約3万7千台が売られました。

Fichtel & Sachs

 フィテル&ザックスの汎用ヴァンケル・エンジンは、チェーンソー向けから軽飛行機向けまでありました。(従来のピストン・エンジンによるチェーンソーでは、その振動が白蝋病の原因となっていましたが、振動の少ないヴァンケル・エンジンはチェーンソーに最適と考えられていました。ホントなんでんしょうか?)

1975 KM3 for Sachs-Dolmar KMS-4 chainsaw / 1972 294ccX2 (60PS) Wankle engine for RFB Sirius II

 そのうち、オートバイ用は注目に値します。フィテル&ザックスはオートバイ用ヴァンケルエンジンとして、KC24(295cc・1ローター)とKC27(294cc・1ローター)との2種類を用意し、直接的にはハーキュレスW2000に供給されるのですが、間接的に、さまざまなオートバイ・メーカーに技術的影響を与えることになります。(後述していきます)

1973 Sachs KC27

Daimler-Benz

 ダイムラーベンツは実験車C111の初代(C111-I)に3ローター、二代目(C111-II)に4ローターのヴァンケル・エンジンをミッドシップ搭載しました。(C111はヴァンケル・エンジンの実験が終わると、ディーゼル・エンジンに載せ替えられます)

The first C111-I / 1969 C111-I / 1970 C 111-II

4 rotor

350SL Wankle 4 rotor

YAMMAR DIESEL

 西ドイツに次ぐライセンス購入数となったのは日本で、ヤンマー(1961年2月)、東洋工業(1961年2月)、日産(1970年10月)、スズキ(1970年11月)、トヨタ(1971年5月)、川崎重工(1971年10月)、ヤマハ(1972年9月)の7社となります。 このうち、ヤンマー(船外機)、東洋工業(自動車)、スズキ(オートバイ)の3社が市販に成功しています。

 意外にもヤンマーは日本のロータリーの先駆で、1961年2月にNSUとライセンス契約を結ぶと、11月には社内にロータリー内燃機研究所を設け研究・開発を開始、翌1962年4月には試作エンジンの試運転に成功します。

1962 Yanmar roatry prototype

 試運転成功から7年後の1969年4月にようやくR220(22馬力)の発売にこぎつけます。(船外機としては世界初のロータリーエンジンとなります)

 1971年3月、ヤマハと業務提携を結びます。(ヤンマーからロータリー、ディーゼルエンジンの技術を、ヤマハからFRP船の技術を提供)これはヤマハにおいて、RZ201として結実します。(後述)

 1972年5月には RM28(28馬力)、1974年9月には2ローターのRM50(54馬力)を世に出します。しかし、第1次石油ショック(1973年)の影響は大きく、RM50の発売まもなくすべてのロータリー船外機の生産・販売は打ち切られます。

1972 Yanmar Rotary RM28

 しかし、ロータリーエンジンの研究・開発は継続され、1975年、チェーンソー作業者の職業病とされる白蝋病の軽減を図るために、ロータリーの低振動性を生かしたRH57を発表し、林野庁に納入します。しかし、携帯性の低さ、トルクの細さを指摘され、市販されるまでには至りませんでした。

1975 Yanmar RH57

 1979年、ヤンマーにおけるすべてのロータリーエンジンの研究・開発は終了します。

TOYO kogyo (Mazda)

 マツダは2008年までロータリーエンジンを造り続けた”西側”唯一の自動車メーカーですが、ここではオイルショックでマツダ以外のすべての自動車メーカーが撤退する1973年までの軌跡を追ってみたいと思います。(ここで”世界”ではなく、”西側”と書いたのは、近年、判明した事実があったからです。後述します)

 東洋工業は社運を賭けてヴァンケル・エンジン開発に取り組み、1963年の自動車ショー(東京モーターショー)にはエンジン単体の、翌64年の同ショーにはコスモのプロトタイプの発表にこぎつけるも、市販されるのは、その3年後の1967年まで待たれます。

1964 Mazda Cosmo Sport (Prototype)

Mazda Cosmo Sport (110S) : 1967 early model / 1968 late model

 東洋工業初の市販ロータリーエンジン10Aは、2ローター・491ccx2=982cc、コスモ前期型用で110ps@7,000rpm、後期型用では128ps@7,000rpmを発します。

Mazda 10A – 2 Rotor

 1968年には、ロータリー搭載車の大衆化、量産化を図ったファミリアロータリークーペがデビュー。10Aは100ps@7,000rpmにデチューンされています。

 端正なベルトーネデザインのボディを持つも、車両価格は、70万円とコスモの半額。

 レシプロ版のファミリア1200と同時発売。翌69年にはセダンが追加されます。

1968 Mazda Familia Rotary Coupe (R-100)

 ルーチェはマツダ初のFF駆動車で、2ローター・655ccx2=1310cc、126ps@6,000rpmのルーチェ・ロータリークーペ専用エンジン、13Aが用意されています。車両価格が、145万~175万円と高価すぎ、2年間で976台の生産と短命に終わります。

1969 Mazda Luce Rotary Coupe

 ファミリアとルーチェの間を埋めるモデルとしてカペラがデビューします。新たに車格に併せて拡大された、2ローター・573ccx2=1146cc、120ps@6,500rpmの12Aが搭載されました。

1970 Mazda Capella Rotary Coupe (RX-2)

 1970年の東京モーターショーで発表されたRX-500は、次期コスモスポーツ研究開発用の実走車両をショー向けに仕立て直して公開したものとのことです。(カペラ用12Aをミッドシップに搭載。RX-500は、マツダ50周年から命名されたものと思われます)

 残されている当時の画像から、緑、黄色、銀の車体が確認されていますが、近年のレストアでたった一台が、緑、黄色、銀の順で塗り替えられていたことが判明しています。(東京モーターショーで発表されたときは黄色)

1970 Mazda RX-500 (Prototype)

 1971年、スペシャルティ・カテゴリーにロータリー専用車を謳ったサバンナがデビュー。実際はモノコックを共有するグランドファミリアがレシプロ版に相当します。搭載される10Aのチューンはファミリア用より5ps高められ105ps。翌72年には、120psのカペラ用12Aが搭載されたサバンナGTが発売されます。

 1973年6月にはボディのマイナーチェンジ、併せてAP(Anti Pollution)化されます。

Mazda SAVANNA (RX-3) : 1971 early model / 1973 late model

 1971年の東京モーターショーで、量産型サバンナのボディをモディファイしたデザイン提案車、RX-500が発表されました。外装以外はなにか取り柄があるという車両ではありません。

1971 Mazda RX-510 (Prototype)

 1972年に第2世代ルーチェがデビュー。当初、12A(1,146cc)搭載モデルとして、翌73年には、12Aのハウジング幅を10mm拡大した13B(1,308cc)を積んだモデルが追加、併売されています。

 1973年末には第1次オイルショックが勃発、ロータリー冬の時代を迎え、ここで他社ロータリー勢は全滅と相成るのですが、マツダは再び社運を賭けロータリーの低公害化、低燃費化を図り、自社製ロータリーに磨きをかけることに成功、なんとか冬の時代を乗り切ります。

1972 Mazda Luce (RX-4)

 1967年から73年までのマツダ・ロータリーの一覧が下図となります。

 燃費や耐久性の点で実用エンジンとしては厳しい面があったロータリーエンジンも、レーシングフィールドにおいては、その軽量コンパクトさ、出力特性など持って生まれた素姓の良さを有していました。マツダはロータリーエンジン車を国内外のビッグレースへ積極的に出場させますが、いきなり一線級のパフォーマンスを発揮しています。

 1968年の初レースから1973年のオイルショックまでのマツダ・ワークスは、主にヨーロッパと日本国内のツーリングカーレースに参戦しています。1963年からヨーロッパで行われているツーリングカーレース(ETCC)は、ちょうどマツダが参戦する1968年から、グループ2からグループ5にレギュレーションが変更されています。しかしより改造範囲の広い=お金のかかるグループ5はエントラントの支持を得られず、わずか2シーズンで終わり、1970年から再びグループ2に戻されると活況を呈するようになりましたが、1973年秋のオイルショック後は厳しい時期が続きます。(息を吹き返すのは、1977年から BMW (3.0CSL) やフォード (カプリ RS) のファクトリーチームが参戦するようになってです。ファクトリーの撤退でまた下火になるも、1982年のグループA採用で再び注目されるようになるといった動向がありました)


1968年8月 マラソン・デ・ラルート84時間耐久レース

 西ドイツのニュルブルクリンクで開催される3日半に渡る超絶耐久レースがコスモスポーツの初陣に選ばれ、日本人組の18号車(古我信生 / 片山義美 / 片倉正美)と、ベルギー人組の19号車(レオン・デルニエ(Leon Dernier) / イヴ・デプレ(Yves Deprez) / ジャン=ピエール・アッカーマン(Jean-Pierre Ackermans))の2台が参戦しました。

 残りわずか4時間を残す81時間目に18号車は惜しくもリタイヤ。19号車が、1、2位のポルシェ911、3位のランチアフルビア1.3HFに続き、4位に入賞と初戦から快挙を果たします。

#18 古我信生 / 片山義美 / 片倉正美 – DNF

#19 Leon Dernier / Yves Deprez / Jean-Pierre Ackermans – 4th


1969年7月 スパ・フランコルシャン24時間

 ベルギーのスパ・フランコルシャンに 3台のR-100(ファミリアロータリークーペ)が送り込まれます。一時はトップを快走する活躍を見せ、4台のポルシェ911に次ぐ、総合5位、6位入賞を果しました。 (1台はリタイヤ)

#29 Yves Deprez (B) / 片山義美 – 5th

#28 片倉正美 / 武智 俊憲 – 6th

#30 Leon Dernier (B) / Hughes de Fierlant (B) – DNF


1969年8月 マラソン・デ・ラ・ルート84時間耐久レース

 昨年に続き、ニュルブルクリンクで行われる超絶耐久レースに3台のR-100が出場しました。2台がリタイアするも、1台は、総合5位を獲得します。

●総合5位
28号車(イヴ・デプレ(Yves Deprez・ベルギー)/ ヘルムート。ケレナーズ(Helmut Kelleners・独) / クライブ・ベイカー(Clive Baker・英))
●リタイア
27号車(片山義美 / 片倉正美 / 武智 俊憲)
29号車(ピエール=イヴ・ベルタンシャンプ (Pierre-Yves Bertinchamps・ベルギー) / ヒューズ・デ=フィエ ラント(Hughes de Fierlant・ベルギー) / ロジャー・エンバー(Roger Enever・英))


1970年5月 JAFグランプリ

 1970年よりマツダは、ワークスでのレース活動を日本国内でも行うようになります。海外のビッグレースで成果を残してきたR-100は、同年5月、FISCOで行われたJAFグランプリで常勝GTRと初対決となります。(1970年の日本グランプリは、トヨタ・日産の不参加により中止)

 レースは、4台のワークスGT-Rに2台のワークスR-100(#46 片山・#47 武智)が絡む展開で、軽量・ハイパワーで空力にも優れていたR-100は直線ではGT-Rをしのぐ速さをみせるも、足回りの優れたGT-Rにコーナーで抜き返されるという白熱のデッドヒートが繰り広げられます。結局、R-100武智車が2台のGT-Rに次ぐ3位でフィニッシュします。(片山車はタイヤ・バーストで7位)

#46 Yoshimi Katayama 7th

 この時から、国内ツーリングカーレースでは、常勝GT-R VS 追いすがるロータリー勢というライバル構造が確立し、展開していきます。


1970年6月 ルマン24時間

 この年のルマンのエントリーリストには、3台のR-100(#85、#86、#87)の登録がありますが、参加はありませんでした。(これはワークスチームが参加を予定し、確保していた枠だと思われます)

 一方この年、プライベーターによってロータリーが初めてルマンを走ります。10A(491cc×2)をシェブロンB16に積んだベルギーの#48リーバイスインターナショナルレーシングがそれです。ドライバーはベルギー人のロータリー使いイヴ・デプレ(Yves Deprez)とジュリアン・ヴェルネーヴ(Julien Vernaeve)となります。プライベートチームでしたが、非公式にマツダの協力はあったようです。

 残念ながら完走ならず、4時間24分を過ぎたところでエンジントラブルでリタイアしてしまいます。

1970 Chevron B16


1970年6月 RACツーリスト・トロフィー4時間

 イギリス、シルバーストーンで行われたRAC(王立自動車クラブ)主催のツーリスト・トロフィーは英国最古の伝統あるレースですが、ETCCの一戦に組み込まれていました。長時間耐久の多かったこの時代、4時間はスプリントレース扱いでした。3台のR-100(ファミリアロータリークーペ)は 8位、10位、12位。

#31 武智 俊憲 / 片山義美 – 8th
# 片倉正美 / Clive Baker – 10th
#30 イヴ・デプレ(Yves Deprez) / Julien Vernaeve – 12th

#30 Deprez / Julien Vernaeve 12th


1970年7月 ニュルブルクリンク6時間耐久レース

 西ドイツ、ニュルブルクリンクで行われた6時間耐久レースでは、R-100は出場3台ともノントラブルで完走し4、5、6位を得ました。

#30 片倉正美 (J) / Yves Deprez – 4th
#31 Julien Vernaeve / Clive Baker – 6th
#32 片倉正美 / 武智 俊憲 (J) – 5th

#32 片倉正美 / 武智 俊憲 (J) 5th


1970年 7月 パ・フランコルシャン24時間耐久レース

 ベルギー、スパ・フランコルシャン24時間耐久レースには4台のR-100が参戦。

12時間後には、片山/武智組がトップ、他の3台も3、4、8位を キープ

残り4時間を切ったとき、1台がエンジントラブルでリタイア。 トップ走行中の片山車もリタイア。3台目もリタイア。4台目#32が、 1位のBMW-ALPINA 2800CS、2位から4位を占めるAlfa Romeo 2000GTAmに続く5位に入賞。

#31 武智 俊憲 (J) / 片山義美 – DNF
#32 片倉正美 / Clive Baker – DNF
#33 Enever / Hine – 5th
#34 Yves Deprez / Pierre-Yves Bertinchamps – DNF

#32 片倉正美 / Clive Baker DNF / #34 Yves Deprez / Pierre-Yves Bertinchamps DNF


1971年12月 富士ツーリスト・トロフィー500マイル

 このレースでは、GT-Rは、1969年の日本グランプリ・デビュー以来の30連勝・50勝目が懸った大一番でありました。本戦では、ワークスGT-R3台が全滅、ワークス・カペラ2台も全滅するという大荒れの中、2位から4位にはプライベートGT-Rが入るも、優勝は9月に発売されたばかりのサバンナのサテライト・チーム車(#15 増田/加茂)がかっさらうという結果となります。(GT-R・50勝達成は翌72年3月の初戦、富士300キロ・スピードレースに持ち越されます)

#15 加茂/増田


1972年5月 日本グランプリ

 GT-Rを抑え、マツダは、1位サバンナ(#24片山)、2位カペラ(#23武智)、3位サバンナ(#25従野)と上位を独占。このレースは、サーキットの主役はGT-Rからサバンナへと変わる節目となりました。(サバンナはその後、1978年までに100勝を達成します)

#24 片山義美


1972年10月 富士マスターズ250km

 予選1位は、サバンナ(#28従野)の1分59秒35、2位はGT-R(#15黒沢)の1分59秒70、3位はサバンナ(#29片山)の1分59秒94、と1位から3位までが、ついに今まで破られていなかった2分の壁を突破しました。

 決勝は、1位カペラ(#32増田)、2位サバンナ(#31岡本)、3位カペラ(#24寺田)とロータリー勢が独占するも、その展開は諸手を挙げて喜べるものではありませんでした。序盤で#29片山・サバンナ、#28従野・サバンナがリタイヤすると、#15黒沢・GT-Rの独走となりますが、これに周回遅れの#30武智・サバンナが絡み接触、そのため#15黒沢・GT-Rは18位に終わる結果となっています。

 一方、GT-R勢は最高7位、他は14位以下と轟沈し、このレースをもってGT-Rのワークス活動は中止されます。(以降、プライベーター参戦は続くも、翌1973年11月富士ツーリスト・トロフィーレース500マイルの総合6位/Cクラス優勝(#14窪寺/久保田)の通算57勝をもってGT-Rはサーキットから完全に姿を消します)


1973年6月 ルマン24時間

 富士GCシリーズに参戦していたプライベートチーム、シグマオートモーティブはル・マン24時間にも参戦を決めます。マシンは GC用シグマGC73を、グループ5仕様に改造した MC73 で、パワー・ユニットは、マツダオート東京チューンの12Aロータリーで260PSを発揮しました。

 ドライバーは、鮒子田寛、生沢徹、パトリック・ダルボの3名。予選結果は55台中の14番手、本戦では10時間半を経過した時点でクラッチトラブルでリタイア。

 74年のルマンにもシグマはロータリーで再戦しています。

 ちなみに、74年(および75年)のルマンにはRX-3も参戦しています。その後ロータリーのルマン参戦は78年のRX-7まで空席が続きます。

1974 Mazda RX-3 – Claude Buchet / 1975 Mazda RX-3 – Claude Buchet

Nissan

 日産も市販直前まで開発が進み、1972年の東京モーターショーに、500ccX2ローター、120馬力のヴァンケル・エンジンを積んだサニーを展示しています。しかし、翌73年の第1次オイルショックの影響は大きく、燃費の悪いヴァンケル・エンジンはお蔵入りとされてしまいます。

1972 Nissan Sunny Rotary Prototype

1975 Datsun 200SX / Nissan Silvia

TOYOTA

ISUZU

 いすゞはNSUのライセンサーのリストには入っていません。完全に独自技術によるロータリーエンジンをうたっています。

OMC

 アメリカでは、上記カーチス・ライトの他、OMC (Outboard Marine Cooperation) (1966年3月)、GM(1970年11月)、AMC(1973年2月)の4社がライセンスを購入、うち、カーチス・ライト(上述)とOMC(スノーモービル)の2社が市場に製品を出しています。
 日本ではほとんど知られていない(であろう)OMCのヴァンケル・エンジンについて、簡単に触れておきましょう。

 OMC最初のヴァンケルは、スノーモービル用、空冷1ローター・530ccで、出力は、35HP/45HPでした。これを水冷化すると、50/55HPを得るようになりました。

 OMCのステッカー。”米国最初のロータリー・コンビューション”と誇らしげに明示しています。(Johnson and EvinrudeはOMCのブランド)1970年から74までに、Johnson and Evinrudeは15,000台のスノーモービルを生産しています。

 スノーモービル用水冷1ローターを2ローター化したものは、110/120HPを発揮しました。さらにそれを4ローター化し、レース用ボートの船外機として試作します。他社と同様の理由で、市販には至りませんでした。

1973-74 OMC 4 rotor wankle outboard

 雑誌の表紙を飾るほど、ヴァンケル・エンジンは期待された存在でしたが・・・300HPとありますが、実際は、265HP@7,000rpmだそうです。

 1973年6月号

GM

 1969年、GMの伝説的エンジニア、ゾラ・アーカス・ダントフ(Zora Arkus-Duntov)は、次期コルベットのプロポーザルとして、400cui(6.6L)のスモールブロックV8をミッドシップに横置きにするXP-882を造ります。が、シボレーのゼネラルマネージャーであったジョン・デロリアン(John DeLorean)はXP-882の提案を早々に却下してしまいます。

1970 XP-882 Chevrolet Corvette Concept

 この頃、マスタングの成功で知られ、後にフォードの社長となるリー・アイアコッカ(Lee Iacocca)が、デトマゾ・パンテーラを自社ディーラー網(リンカーン・マーキュリー)で売ろうと計画していることを知ったデロリアンは、1970年のニューヨークショーで発表されるパンテーラに対抗して、お蔵入りになっていたXP-882を、一転、同ショーで公開することに決めたのでした。

1971 DeTomaso “Original” Pantera

John Zachary DeLorean 1925-2006 / Lido Anthony Iacocca 1924-

 同じ頃、エンジニア出身で技術志向の強かったGM社長、エド・コール(Ed Cole)は、ヴァンケル・エンジンの将来性を信じ、ヴァンケル・エンジンをハイパフォーマンス・エンジンとして、シボレーのスポーツ・モデルに積むことを決定します。

 当時、アメ車の黄金期であり、世界2位、3位のフォード、トヨタに対し、倍近い生産台数を誇る世界最大の自動車メーカーであったGMが、ヴァンケル・エンジンの量産を公表したことは、世界の自動車メーカーにどれほどの影響を与えたことでしょうか。

Edward Nicholas Cole 1909-1977

 エドの決定に応じて、XP-882シャーシに、2ローターと4ローターのヴァンケル・エンジンを積んだ試作車が造られることになります。

 パンテーラのギア・デザインに対抗する意味もあったのでしょうか、2ローター・カーのボディ・デザインは、トリノのピニンファリーナに依頼されます。ピニンファリーナ製ボディを架装されたXP-882は、1973年9月のフランクフルトショーでXP-897GTとしてデビューします。

1973 XP-897GT “Two-Rotor Car”

 2ローター・ヴァンケル・エンジンは横向きでミッドシップに積まれています。

 GMのチーフデザイナー、ビル・ミッチェル(Bill Mitchell)の手によって、ガルウイングほかの改装を受けたXP-882には、4ローターのヴァンケル・エンジンが積まれ、”4ローターカー”として、1973年10月のパリショーに再デビューします。

1973 XP-882 “Four-Rotor Car”

 4ローター・エンジンは、2基の2ローター・エンジンを直列に並べたものの真中から90度まげて出力を取りだす構成。350HPを発揮するとのことです。

GM 4 rotor “Super Wankle”

 1973年のオイルショックが、ヴァンケル・エンジンに与えた影響の大きさは、GMでも例外ではなく、ヴァンケル・エンジンのプロジェクトは、1974年9月、社内一の推進者であったエド・コール自身の命によってキャンセルされてしまいます。同じ9月には、彼は莫大な資金をかけたプロジェクト失敗の責をとってか、GMを退社します。

 それでも、”4ローターカー”は元のスモールブロックV8に戻された以外はそのままの形で生き残り、1977年、コルベットの1980年モデル(C4)となる車として発表されます。

1977 XP-895 Aerovetto

 ”アエロベット”のミッドシップとガルウイングは、そのまま量産車にも採用されるはずでしたが、ダントフ、ビル・ミッチェルといった計画を支持する大物たちが相次いでGMを退社してしまうと、新たにコルベットの開発責任者となったデビッド・R・マクレアン(David R. McLellan)は、US市場においてはミッドシップ・リアドライブがフロントエンジン・リアドライブほど好まれないことを理由に、計画をキャンセルしてしまいます。

GMRCE RC2-206

 2ローター・ヴァンケル RC2-206 は、GMRCE = GM Rotary Combustion Engine のラインナップ当初の中核となるはずであったエンジンで、206cui(3.4L)から150HP@6,000rpmを発します。RC2-206 は、GMが一から設計・開発したものではなく、そのコードネーム”RC”が示す通り、USにおける先駆者、カーチス・ライト基本設計したものを、GMがリファインしていた模様です。(カーチスライト製のヴァンケル・エンジンには全て、”RC”の接頭辞が付けられています)

1974 GM 2 rotor “RC2-206”

 ポピュラーサイエンス誌72年3月号では、RC2-206 は74年式ベガに載せられると書いています。自動車誌ではなく、一般向け科学誌に書かれていたことは、ヴァンケル・エンジンに対する一般の興味、評価として、特筆に値するといえましょう。(ええ、RC2-206は74モデルには間に合いませんでした)

Popular Science 1972年3月

1974 Chevrolet Vega GT

 74年式ベガの次には、75年式モンツァ(ベガとシャーシを共通とする)にロータリーを搭載する計画となっていましたが、73年末の段階で75年モデルには間に合わないということが判明していました。

 同誌74年9月号では、『ヴァンケル・エンジンはどのように改良されているか』と、未だ改良中の旨の記事。燃費の問題、アペックスシール周りの諸問題を解決できないまま、この雑誌が出て間もなく、GMのヴァンケル・エンジンのプロジェクトは中止が決定してしまいますが。

Popular Science 1974年9月

 ベースモデルは140 CID (2300 cc) の直列4気筒 4.3 liter V8 がヴァンケルの代わりに設定されました。

モンツァのエンブレムはロータリーとなるはずでした

1975 Chevrolet Monza

 モンツァを見ると、セリカXXを思い出してしまいます。

1978 TOYOTA Celica 2600XX (Supra)

 AMCのチーフデザイナー、リチャード・E・ティーグによる個性的すぎるスタイリングで物議をかもしたグレムリンに続き、1975年から新発売されるペーサーにはGM製ヴァンケル・エンジンが使用される(なんとFF駆動で!!)合意に至っていましたが、GMの計画中止のあおりを受け、スタイリングに見合った先進性を持つはずだったペーサーは、旧態依然の直列6気筒をFR駆動で載せざるをえませんでした。

1975 AMC Pacer

 GMヨーロッパを成すヴォクゾール(英)やオペル(独)にも供給される予定でした。オペルはそのためのコンセプトモデルまで発表するのですが、当然、流れて今います。

ヴォクソールは当初のミッションとして、GM RC2-206がヨーロッパのエミッションをパスするための適合するためのミッションを渡された。ルートンにあるヴォクゾールのエンジニアリング・センターで

何台かのロータリーエンジンを積んだヴォクゾール車に
Vauxhall Firenza
ボクスホール・フィレンザ
Vauxhall FE Ventora automatic

Vauxhall Firenza / Vauxhall FE Ventora

Opel GTW Geneve Concept (1975)

1975 Opel GTW Geneve Concept

19XX DMC12

Citroen

 1967年、シトロエンは手始めに、ヴァンケル・エンジンの製造・開発・供給を行う会社であるコモトールをNSUと合弁でルクセンブルクに設立します。(コモトールは、他にヴァン・ヴィーン(Van Veen)にもヴァンケル・エンジンを供給しています)

 1970年、次にシトロエンは、ヴァンケル・エンジン搭載車の大規模なユーザーテストを行います。用意されたのは、自社のアミ8に新規に2ドア・クーペ・ボディを架装したM35です。M35は選抜されたモニターにのみに、$2,740で販売されました。

フロントフェンダー両側にプロトタイプである旨の文字列が入れられています。

 498cc、1ローター、49PS@5,500rpmのKKM500型ヴァンケル・エンジンをFFに積んでいます。

 M35は、当初、500台を製造する予定でしたが、結局、267台しか造られませんでした。テスト後、メーカーに戻された車両は全て解体されたため、現在、きわめて少数しか世に残っていません。

 1973年、M35によるテストを終えたシトロエンは、ついにヴァンケル・エンジン搭載車の市販を開始します。

1973-74 Citroen GS birotor

 2ローター、498ccX2=996cc、107馬力 の水冷ヴァンケル・エンジンには、『Cマチック』と呼ばれるセミオートマチック・トランスミッションが組み合わされました。これはNSU Ro80用KKM624型と基本的に同じものですが、コモトールで独自に行われた改修が盛り込まれておりました。

 デビュー直後に1973年の第一次オイルショックに見舞われ、わずか874台しか生産されなかった上に、欠陥と言うべきエンジンの耐久性不足が露呈し、デビュー翌年の1974年には早くもリコール回収され、スクラップ処分に回されます。M35同様、現存するGSビロトールは極めてわずかです。

 エンジン供給元であるコモトール自体は1980年まで存続していました。

Rolls-Royce / BSA / Alfa-Romeo / Savkel

 英国勢はロールス・ロイス(1965年2月)、BSA(1972年7月)の2社で どちらも試作に終わっていますが、BSAのライセンスはノートンに引き継がれ、息の長い製品となっています。(PART 2で詳述します)

 その他、アルファロメオ(イタリア・1964年4月)、Savkel(イスラエル・1969年8月)もライセンスを購入しています。このうち、Savkelが製品を世に出しています。

IFA VEB

 東ドイツのIFA VEBは、東側陣営に組み込まれた旧BMW・アイゼナハ工場を母体とし、BMWやDKWの技術や資産を継承しています。

 1965年2月、IFA VEBはNSUよりライセンスを購入。2スト・エンジンを積むトラバント(Trabant)、ヴァルトブルク(Wartburg)さらに2輪のMZのヴァンケル化を計画します。
 KKM 51(500 cc,50 hp)はTrabant 601に、KKM 52はヴァルトブルクに積まれ、テストされますが採用に至りませんでした。

1964 Trabant 603 (Prototype) / 1966-69 Wartburg 353

 これは当時は西側に知られていなかったことですが、東西ドイツが統一した1989年以降、判明しました。

VAZ

VAZ(ヴォルガ自動車工場)
現在はAvtovazアフトヴァース

FIATのライセンス車生産を長らく行う。西側にはラーダ・ブランドで輸出。

 東ドイツと同じく、鉄のカーテンで知られていませんでしたが、国営VAZ製ヴァンケル・エンジンを積んだラーダ車などを長年生産していました。

1974年から製造が開始され、ソ連が崩壊しロシア連邦となった後も2002年頃までロータリーエンジン車が販売された

市販車両には1ローターから3ローターエンジンまでが存在し、試作エンジンには4ローターエンジンも存在した。市販車両では合計8車種に搭載され、
ロータリーエンジンが搭載され販売された車種、合計8種。エンジンバリエーション、20種(軍用・飛行機用含む)。ローターの数、1、2、3、4(4ローターは試作機)。

最高出力も2ローターの最終型VAZ-416(ロシア語版)は180馬力から206馬力、3ローターの最終型VAZ-426(ロシア語版)は270馬力、試作4ローターエンジンのVAZ-526(ロシア語版)は400馬力に達していたという。

ソ連のヴァンケルエンジン開発は60年代に始まり、1974年にはNSUに技術者を派遣している。

VAZ での開発は 1976 年に始まり、1980年には2-rotor Ladaをレースやラリーにテストしていた。80年代には 120 to 280 hpの2- and 3-rotor engines を生産していた。

2-rotor 160 hpを KGB, militia (police), and military vehicles がポピュラー。

2-rotor 138-hp VAZ-413は Volga-2 Ekranoplanに使用された。

The D-200 は西側では非ライセンスであり、非合法であった。

1997年から世に出たFF Lada Samara は1ローターの排気量は 654 ccでマツダ13Bと一致する。マツダからのサブライセンスは受けていた模様だが、NSUからのライセンスがなければ、違法である。

ローオクタンのガソリンからハイパワーが得られることでヴァンケルエンジンに興味が持たれたと推測される。

21018 / 21019

 2101は1970年から1982年まで生産されたVAZ初の量産乗用車。FIAT 124をベースにVAZで再設計したもの。

 その2101に、1ローター、(80HP)、VAZ-311積んだものが21018。警察やKGBが使用。 (1978年) 1982年には民生用として公開。

 1983年頃?に、2ローター、VAZ-411(120HP)を積む21019を追加します。こちらも警察やKGBが使用。

VAZ 21018
VAZ 311 1rotor 654cc 70HP@6000rpm

VAZ 21019
VAZ 411 2rotor 1308cc 120HP@6000rpm

VAZ-311
70ps
9.7mkp
VAZ-21018
1974-1978

VAZ-411
???cc:×2
115ps
14mkp
VZA-21019
-1978

VAZ-411
???cc:×2
120ps
15mkp
VAZ-21059
-1980

VAZ-411-01
???cc:×2
130ps
15mkp
VAZ-21079
-1982

1978 VAZ 21018

VAZ-311 / VAZ-411

21059 / 21079

 2105に2ローター、”VAZ-411M”を搭載したものが21059。

 2105の上級グレード2107に、2ローター、”VAZ-411-01″を搭載したものが”21079″。後期型には、2ローター、”VAZ-4132″が搭載されています。

VAZ 21059
VAZ 411 2rotor 1308cc 120ps@6000rpm

VAZ 21059
VAZ 413-2 2rotor 1308cc 140HP@6000rpm

VAZ 21079
VAZ 411 2rotor 1308cc 120HP@6000rpm

VAZ 21079
VAZ 413-2 2rotor 1308cc 140HP@6000rpm

VAZ-4132
110ps
19mkp
VAZ-11059 VAZ-21079

1VAZ 21079

2108-91 / 2109-91 / 21099-91

この車はアフトヴァースにとり2番目の自主開発の車種(最初はニーヴァ)であり、フィアット車の派生車種を基にしていない最初の車であった。

●1974▼1970

1969 E1101 “Avtoroller”

●1971/1972

1971 E1101 “Tsheburashka”

N360
全長2,995mm 全幅1,295mm 全高1,345mm ホイールベース2,000mm

●1973

1973 2E1101 “Z-900”

1976 3E1101 “Ladoga”

極少数のロータリーエンジン (VAZ-415, 2 x 654 cc) 搭載のサマーラがロシア国内でのみ販売された。そのほとんどは追跡用車両として警察やその他当局に購入されたが、信頼性に関する酷い問題により現存する車はほとんどない。

 3ドアハッチバック 2108、5ドアハッチバック 2109、セダン 21099に2ローターの”VAZ-415″を搭載したものが、それぞれ2108-91、2109-91、21099-91となります。

 VAZ 415 は2rotor 1308cc 140HP@6000rpm

2108: 1984–2003
2109: 1987–2004
21099: 1990–2004

VAZ-415

エンジンはVAZ-415のままスペックは変わらず、ボディのみモデルチェンジを経て、2002年頃まで販売されていました。
VAZ 2110-91
VAZ 2115-91 1997–

2110-91

1111 Oka

 1989年より生産されている並列2気筒750ccに替えて、1ローターの”VAZ-1182″を搭載。

 全長3200㎜、全幅1420mm、全高1400mm

パンダ3408mm. 1494mm 1420 mm.

ミラ全長3,195mm 全幅1,395mm 全高1,400mm

VAZ 1111
VAZ 1182 1rotor 386cc 45ps@6000rpm

VAZ1182
45ps
5.5mkp
VAZ-1111

VAZ (Lada) Revolution II

GAZ

24-10 Volga

 2ローター、”VAZ-413″搭載。
1985 to 1992

VAZ-413
???cc:×2
140ps
19mkp
GAZ-31028

3102 (1982–2009)

 KGBおよび警察向けには、3ローター、”VAZ-431″(220馬力)を搭載、一般向けには2ローター、”VAZ-411-01″を搭載しています。

VAZ-431
654cc×3
210ps
28.5mkp
GAZ-3102 GAZ-14

14 Chaika

 3ローター、”VAZ-431″を搭載する共産党幹部向けリムジン。

飛行機用

VAZ-1187
45ps
5.5mkp
ウルトラライトプレーン
-1991

VAZ-416
???cc×2
160ps
19mkp
飛行機用
1993-1996

VAZ-426
654cc×3
240ps
32mkp
飛行機、ヘリコプター用

[ PART 2 につづく ]