マッシモ・ボルディが、DOHC4バルブのデスモヘッドを初めて設計したのは、なんと今から35年前の1973年、彼のボローニャ大学における卒論でのこと。カムの駆動方式は、現在のようなタイミングベルトによるものではなく、当時のドゥカティの市販車と同じベベルギアでした。

 そしてこのヘッドデザインはコスワースから強い影響を受けた、という有名な事実を巡る考察が今回の主題であります。

 コスワースは、1966年にF2用エンジンとしてデビューさせた FVA(1.6リッター・直列4気筒)、および翌67年、F1用に、そのヘッドを2基使ってV型とした DFV(3.0リッター・V型8気筒)を立て続けに大成功させ、名エンジン・コンストラクターの地位を不動のものとしています。

 コスワースの大きな功績は、FVA、DFVで採用した狭いバルブ挟み角(FVA 40度、DFV 32度)からなる、スキッシュエリアが設けられたコンパクトなペントルーフ型燃焼室を、その後のDOHC4バルブのヘッドデザインのスタンダードとしたことです。

 それ以前は、半球型あるいは多球型に、大きなバルブを入れるためにバルブ挟み角を大きく(80度程度)取った燃焼室が主流であったことを考えると、コスワースは、それまでのレーシングエンジンすべてを過去のものとして葬り去った、と言って過言ではないでしょう。

 とまあ、レーシングエンジンにおけるコスワース・ショックはかように大きく、ボルディによるDOHC4バルブヘッドは、40度という狭いバルブ挟み角およびペントルーフ型燃焼室というモダンなデザインを持つに至りますが、難点がなかったわけではありません。

 ロッカーアーム類がカムの外側に配置されているため、おそらくスペース上の問題で、ポートがずいぶん寝ており、せっかくバルブの挟み角を狭くした利点(ポートのストレート化)を完全に活かしきれていない点を指摘できます。

 1976年、ボルディは晴れてドゥカティに就職。彼は「コスワース流」を自分の設計するヘッドに採用すべく機会を狙っていたことでしょう。

MS4から採用された、ななめヘッド

当初は空冷だった!?

 はじめてDOHC4バルブを設計したときから12年後の1985年、戦闘力の衰えを隠しきれなくなった750F1の空冷・SOHC・2バルブ半球型燃焼室を持つパンタ・エンジンをスープアップするために、ボルディは新たに、水冷・DOHC・4バルブのヘッドをデザインします。

 ここでも前述した12年前と同じく「コスワース流」が踏襲されますが(バルブ角も40度と同一!)、指摘したポート形状の問題は、ロッカーアーム類をカム間に収めることで解決されています。

 この配置のため、デスモ4バルブのヘッドは、大きく、背の高いものとならざるを得ませんでした。

 なおこのエンジンの開発には、直接的なコスワースによるコンサルタントが入っています。

 当初、750ccだったエンジンは851ccに拡大され、その後のレースでの活躍はいまさら説明の必要は無いでしょう。

 余談ですが、すでにドゥカティ社を引退していた、ドゥカティ・デスモの生みの親、ファビオ・タリオーニは、公然とボルディのプロジェクトを非難し、「DOHC4バルブは成功しない」と広言していました。

 この事実を考えると、ボルディも、タリオーニがいなくなってから、ようやく自分のやりたかったことに手をつけ始めたのかもしれません。(タリオーニの在籍中は、プロジェクトは反対され潰されていたのかも?)

 晩年のタリオーニは、新しい時代の波を理解できなかった・・・あるいはそれは分かっていたとしても、自分のものにできないでいた(それをできそうな人間に対する嫉妬していた)のかもしれませんね。ええ、だからといって、タリオーニの、ドゥカティ中興の祖としての、その偉大な業績に対する評価は少しも揺るぐものはありません。神格化されがちな人の、きわめて人間的な話、として捕らえていただければ幸いです。(あくまで、当方の勝手な推測ですから!)