先の投稿で、世界初の量産MTB、初代スタンプジャンパーは日本で作られたと書いたが、スタンプジャンパーの誕生の裏話は複雑で、一筋縄ではおさまらない。

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スタンプジャンパーはリッチーのコピーか?

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Designed by Tim Neenan

 スペシャライズドは、スタンプジャンパーのデザインに社内デザイナーの「ティム・ニーナン」(Tim Neenan)を起用している。彼はそれ以前にスペシャライズドがリリースしたロードフレーム、「アレー」および「セコイヤ」での実績があった。
 

Tim Neenan (then)

現在、ニーナンは「ライトハウスサイクルズ」(Lighthouse Cycles)を主宰している。
 

Tim Neenan (now)

 
 スタンプジャンパーの左側チェーンステーにはニーナンのサインをプリントしたステッカーが誇らしげに貼られている。
 
tim

 その一方、巷ではまことしやかにこう言われている。1980年、スペシャライズドのマイク・シンヤードはゲーリー・フィッシャーとチャールズ・ケリーのマウンテンバイクスに2基のフレームを発注した。シンヤードはそのリッチー製フレームを日本に送り、コピーを量産させた。それがスタンプジャンパーになったと。
 

1979 Ritchey 1st model

1981 Specialized Stumpjumper

 
 なお、両車で細部の仕上げは異なり、リッチー車のフレームは、工芸的なフィレットブレイズ技法(接合部にたっぷりのロウを盛った後、整形して磨き上げる)で仕上げられているが、スタンプジャンパーは、TIG熔接された突き合わせ面そのままである。
 
 誤解のないように書いておくが、工業的には、TIG熔接は熔接の中でも最高品質のひとつと評価されており、強度だけみれば、ロウ付けよりもTIG溶接の方がはるかに優れている。この頃すでに、フィレットブレイズもTIG熔接したパイプ接合面の上に美的目的に施されることが多かった。(当時のリッチーは純粋にロウ盛りだけでパイプを接合していたが)
 

スタンプジャンパーに跨るニーナン

 

スタンプジャンパーのフロント・フォーク長問題

 シンヤードがマウンテンバイクスにフレームを発注したのは事実。また初代スタンプジャンパーが日本で作られたのも明らかな事実。しかし、日本でリッチーのフレームが、まんまコピーされたか否かは、あくまで藪の中である・・・が、コピー肯定派には、こういう説がある。
 
 マウンテンバイクスにフレームを供給していたトム・リッチーは、多産のビルダーではあったが、手間のかかるフロント・フォークの製作は好きではないと公言しており、フロント・フォークの納期は遅れがちだった。
 

 それゆえ、フィッシャーとケリーは、新たにフロント・フォークを作ってくれるビルダーを探すことにした。南カリフォルニアにおけるフレームビルダーの先駆、「サターン・サイクル」主催の「ジョン・パジェット」(John Padgett)が引き受けてくれることになった。(パジェットはJ.F.スコットのためのカスタムバイクを製作しており、スコットからの紹介だったと思われる)
 
 フィッシャーは、パジェットにフォーク材として(リッチーが愛用していたコロンバスとは異なる)レイノルズ製フォーク・ブレードを供給したが、それは700cを使うタンデム車用であった。フィッシャーがフォーク長の指定をしなかったため、パジェットはそれをカットすることなく、そのまま使用した。その結果、フォーク長は本来よりも1.5インチ(3.8cm)ほど長いものとなってしまった。
 

 

Long fork [LH]  /  Normal fork [RH]

 フォークは1ダースほど作られてしまったため、リッチーはそのロングフォークを組んでもトップチューブが水平となるよう帳尻を合わせたフレームを新たに作ることになった。その修正によって、ボトムブラケット高は本来の高さよりも3/4インチ(1.9cm)ほど高いものとなり、キャスター角も66度から70度まで立てられることになった。
 
 マイク・シンヤードが、マウンテンバイクスから2基のフレームを購入した際、受け取ったのは、このロングフォーク・バージョンであった。しかし、日本でコピーされたフレームには、どういう手違いか、26インチ用の短いフロント・フォークが組み合わされてしまった。これが初期のスタンプジャンパーのハンドリングが酷評された真の理由であるという。(酷評を受け、スタンプジャンパーは設計変更された)
 
トム・リッチー製バイプレインフォーク
 

ジョン・パジェット製バイプレインフォーク(ロング)
 

ジョン・パジェット製バイプレインフォーク(ノーマル)
 

 初代スタンプジャンパーの初期モデルでは、ノーマル長のフォークとロングフォーク用フレームが組み合わされた。
 

 2007年に再生産されたスタンプジャンパーにはロングフォークが付けられている。
 

 

FTFよるスタンプジャンパーの製品レビュー

P4

P5

P15

 

マイク・シンヤードはかく語りき

 製作中

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スタンプジャンパーを量産したのは誰か?

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 US本国のスタンプジャンパーのWIKIには、スタンプジャンパーは日本製とだけあり、日本のWIKIには「新家工業(大阪府大阪市)」製とある。しかし、スタンプジャンパーのOEM先に「東洋フレーム(大阪府橿原市)」を挙げる人も少なくない。(ごく少数だが、「新野村工業(大阪府堺市)」を挙げる人もいる)

 以下、「新家工業」と「東洋フレーム」両社について、思うところを書いてみたい。

新家工業

 ツバメ自転車のブランドをもつ新家工業は、自転車屋としてよりもリム屋として有名である。MTB誕生以前からUSではBMX用リムの供給大手として知られており、初期のMTBにはアラヤ製BMX用26インチ・リムがしばしば流用されている。そのころすでに日本から大量の自転車パーツを輸入していたスペシャライズド・バイシクル・インポーツとアラヤの間になんらかのコネがあってもおかしくない。また、1982年、アラヤが突如、日本初の量産MTB、マディフォックスを世に出すが、スタンプジャンパーのOEM生産の経験が活かされたのだろう、と推測できる。

 初期のMTBのリムに、アラヤのBMX用7Xがよく使われていた。
初代スタンプジャンパーも7Xを採用した。

東洋フレーム

 一方、東洋フレームもUSでの認知度は低くなく、たとえば、ゲイリー・フィッシャーは、彼がロードレース選手だったころに使った東洋フレームをして、「彼らが作るバイクは完璧で美しい」とベタボメである。(マウンテンバイクスをフィッシャーと共同経営するチャールズ・ケリーのスタンプジャンパーに対する評価は、「リッチー車が泥の中を走っているくらいのハンドリング」と辛らつなものだった。もちろん、手強いライバルへの牽制が多分に含まれているのだろうが)

 ちなみにリッチーは、1983年にフィッシャーのマウンテンバイクスと袂を分かった直後から、東洋フレームでのOEM生産を開始し、自身の名をつけたMTBの量産に励むことになる。その関係は長く続く。仮に、東洋フレームがスタンプジャンパーのOEMを行っていたのなら、(スタンプジャンパーがリッチーのコピー疑惑は濃厚である以上、)利益相反行為と言わないまでも、ちょっと微妙な話になるのではないだろうか。

 この時点で当方の見解を言えば、アラヤ説を支持している。さらにアラヤ説を強化する証拠を提示してみよう。

MADE IN JAPAN のステッカー

 下の画像は初代スタンプジャンパーに貼られた MADE IN JAPAN のステッカーである。

Specialized Stumpjumper

 また下の画像は、アラヤが英国に輸出していたマディフォックスのフレームに貼られていた MADE IN JAPAN のステッカーで、両者はあきらかに同一である。

ARAYA Muddy Fox (UK Export Model)

 上で書いたリッチー車の東洋フレームによるOEM生産は、1983年から始まり、TIG熔接とラグ・ブレイズのフレーム2種が製作されている。ラグ車はすべてカナダのリッチー・ディーラー、ロッキーマウンテン社でリッチー・ロッキーマウンテンとして売られた一方、TIG車はすべてUS国内市場向けとなった。以下の画像は1984年式リッチー・ロッキーマウンテンに貼られた MADE IN JAPAN のステッカーである。上記のものとは異なっている。

1984 Ritchey Rocky Mountain

 参考までに「センチュリオン」と「ダイアモンドバック」のフレームに貼られた MADE IN JAPAN ステッカーもあげておこう。スタンプジャンパーに貼られたステッカーと同じものである。(車台番号から同じ工場(N)における、84年および85年の製造と分かる)これらのフレームを作っていたのはアラヤだろうか?

Centurion / 1985 Diamondback Apex

ラグ形状による考察

 1982年半ば=83年モデルでスタンプジャンパーのフレームに大きな変更があった。TIGの突き合わせ溶接が廃され、ラグを介するロウ付け(ラグ・ブレイズ技法)となったのだ。一見、技術的な後退に思えるが、ニーナンは、本来ラグ・ブレイズで行きたかったが、(何らかの理由で)できなかった。その後、ラグブレイズで製作できる環境が整ったため、そうしたと述べている。

82 model (TIG welded) / 83 model (Lugged)

 TIGからラグへの変更は、アラヤのマディフォックスにおいても符合する。マディフォックスの82・83年モデルはすべてTIG溶接だが、84年モデルよりラグブレイズのモデルが登場している。

 そこで、83年式スタンプジャンパー、84年式マディフォックス、84年式リッチー・ロッキーマウンテン3車のラグとを比較をすれば、なんらかのヒントが得られるのではないかと思い、そうしてみる。


1983 Stump Jumper


1984 Ritchey Rocky Mountain / 1984 Araya Muddy Fox

 見た目だけで判断すれば、スタンプジャンパーとマディフォックスに近似性を、リッチー・ロッキーマウンテンは他2者とは異なる傾向を感じ取れるのではないだろうか。

 と書いてみたが、実のところ、スタンプジャンパー、マディフォックス、リッチー車のすべてで丹下製チューブ(&ラグセット)が使われている。マディフォックスはフレームに貼られたデカールで丹下製チューブの使用は明らか。スタンプジャンパーは、デカールで自社チューブセット「スペシャルシリーズ・ツーリング」の使用を主張しているが、その供給元は丹下であった。リッチーは当初、コロンバス製チューブを使っていたようだが、まもなく自身の名を持つチューブセットを持つことになる。その製造は丹下であった。東洋フレーム製リッチーは、そのチューブセットを使って作られている。

フレーム・シリアルナンバーからの考察

 スタンプジャンパーの車台番号(Serial Number, S/N)を集めてみた。

T刻印

T2C00***
 このフォーマットの意味は以下の通り

  T = 製造業者:TOYO
  2 = 製造年:1982
  C = 製造月:A=January, B=February, C=March・・・
  以下5桁は製造台数の連番

 ここで大逆転、東洋フレームが製造業者と判明!!

 81年および82年モデルがT刻印の車台番号を持つ。とはいえ、この車台番号のフォーマットはアラヤが採用している形式であり、アラヤが無関係と思えない・・・

M刻印

 上と同じく「アラヤ・フォーマット」。

  M = ?
  2 = 1982年
  L = 12月

 ・82年半ば(83年モデル)でT刻印からM刻印に切り替わる。
 ・T刻印はすべてTIGフレーム、M刻印はすべてラグフレームであることは分かっている。
 ・Mは三木製作所(大阪府)?ミヤタ(神奈川県)?まさか、メリダ(台湾)?
 
 画像の車台番号から、なんと82年末で62,000台以上も生産していたことがわかる。

  M = ?
  3 = 1983年
  B = 2月

 ・翌83年もM工場で作られている。

 このM3B刻印のフレームには”Japan”のステッカーが貼られていることが確認できた。Mはメリダではない。ただ、以前の”MADE IN JAPAN” ステッカーとは異なるものであることより、アラヤは関わっていない?しかし、車台番号のフォーマットはアラヤ形式だ!

 このアラヤ形式の表記フォーマットは83年いっぱいまで使用され、84年以降、異なるフォーマットとなっている。さらに、リムには、83年モデルまでアラヤ製が、84年モデルから87年モデルまではサトゥラエ(Saturae)製が採用されているという事実から、『スタンプジャンパーが日本製だったのは83年モデルまで』というのが私の結論である。

 アラヤ・フォーマットに沿わない車台番号は以下の通り。

●”M5*****”の形式。アラヤのものと似ているが、製造月を表すアルファベットが省かれている。(M5=メリダ、85年だろうか?)

●”84 ****”、”85 ****”という形式。これは1985年モデル、スタンプジャンパー・チームで採用されているのを確認した。最初の2桁は製造年で間違いない。

●”AS******”、”CS******”、”ES******” という形式も確認されたが、解読できていない。(1984年の24インチホイール・モデルがESで始まる車台番号を有している)

 最後にどんでん返しで(少なくとも82年半ばまでは)東洋フレームがスタンプジャンパーのフレームを作っていた事実が判明した。実のところ、アラヤのマディフォックスも、東洋フレームがフレームの製造を担当していたとの話も耳にしている。つまり、東洋フレームはアラヤの下請け・・というより高品質なフレーム製造を請け負う協力工場だった、と捉えるのが自然であろう。

 スペシャライズドからスタンプジャンパーの生産をアラヤが受注し、アラヤはフレーム製造を東洋フレームに振り、納品されたフレームから完成車へのアッセンブルはアラヤが行っていた、という流れとするのはいかがだろうか?この場合、アラヤの判断で、一番最初に書いた「新野村工業」にも一部仕事が振られたこともあったのかもしれない。

 以上が状況証拠から下した当方の結論で、かなり確信を持っているのだが、事実はどうかは未だ断定できないというのが正直なところ。

 東洋フレームは自社HPに「実績」として過去の取引先を公開している。1973年にナショナル自転車協力工場としてスタートとあるのは興味深い。http://toyoframe.com/about-toyo/history/

 以下、関連部分のみ引用する。

toyo
 そこにはアラヤもスペシャライズドも記載はない。もちろん、契約上、公開していないだけかもしれない。それよりなにより、この公式年表に記載された年号などに疑問が生じざるをえない。

 1978年に「KUWAHARA~EVERYTHING BICYCLE」とある。「KUWAHARA」は言わずと知れた日本のクワハラで、「EVERYTHING BICYCLE」は、ハーウィ・コーエン(Howie Cohen)氏率いるエヴリシング・バイシクルズ(EVERYTHING BICYCLES)社のことであろう。クワハラのUS代理店となったエヴリシング・バイシクルズは、BMXのクワハラを世界的なブランドにした立役者として伝説的な存在だが、両社の関係は1979年からのこと(とされている)・・・映画「E.T.」の公開に至っては1982年であるし・・・(BMX界のことはMTB界のこと以上にわからない(笑))

 1978年と1980年に「RITCHEY」が2つあるのは、どういうことだろうか?リッチー初のMTBは1979年のことゆえ、1978年時はロードバイクのフレームを請け負ったことになる。1978年当時、まだ個人商店の規模にあったリッチーが、フレームの海外OEM生産に乗り出す必要があったとは考えにくい。

 さらに1978年に「ROCKY MOUNTAIN」とあるが、当時まだロッキーマウンテンは設立されていない。1978年は、創設者ジェイコブ・ヘリボーンが前身となる自転車小売店ウエストポイント・バイシクルズ(West Point Bicycles)をバンクーバーで経営していた頃である。ようやく、ニシキのロードバイクにファットタイヤ、バーハンドルとサムシフターを装備した”MTBの原型”を製作するに至った頃でもある。その後、1980年、ウエストポイントはリッチーのカナダ代理店となり、満を持してMTBメーカー、ロッキーマウンテンを設立したのは1981年である。この頃、ジェイコブはリッチーと共に日本に行って、日本の自転車産業との関係を構築している。その結果生まれたのが、カナダ初のMTB、1982年ロッキーマウンテン・シェルパ(Sherpa)である。そのフレームは東洋フレーム製であった。



マウンテンバイクカスタムファイル(スタジオタッククリエイティブ/平成7年)より

 

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ヨーロピアンテイスト溢れるスタンプジャンパー

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 前の稿でも何度か引用させてもらっているドキュメンタリー映画「クランカーズ」(2007年)にマイク・シンヤードも出演している。当然、MTBを量産して世に広めたとの文脈で登場するのだが、後からやってきた部外者(シンヤードはクランカー乗りではなかった)が先駆者らが開拓したものをまんまとかっさらっていったという否定的なニュアンスは匂わされている。

sj001

 まず、スタンプジャンパーは日本でリッチー車をコピーして作った、とパイオニアたちにこき下ろされる。

sj002

 その直後、「各国からパーツを集めて作ったんだ」と恥ずかしげもなく強弁する滑稽なマイク・シンヤードの図、となっている。

sj003

sj004

 続く映像は見ての通り。シンヤードにとって「各国」とはヨーロッパ各国のことなのだろう。日本の「に」の字も出てこない。(製作側の意図的な編集ではないと信じたい)

 なお、ここでの笑いどころは、TAのクランクもオートバイ用を流用するレバーも、スペシャライズドが独自に世界から探してきたパーツなどでは決してなく、先達の定番品をそのまま倣ったに過ぎない、ということだ。

 TAのクランク&チェーンホイールについては、「(壊れやすく)もっと良いものがあるのに、なぜだかマリンのクランカー乗りたちはTAを好んだ」と評される程度のものである。きっと彼らが(シクロクロス時代から)使い慣れたパーツであったのだろう。

 ただし、レバーに関しては、工夫があったといえよう。マリンの連中はマグラ製を使ったが、シンヤードはトマゼリ製を選んだのだ(笑)。(どちらもイタリアのオートバイパーツメーカーであるが、トマゼリの方が低コストだったらしい)

 参考までに、1982年モデルのスタンプジャンパーは以下のパーツを使用している。

Headset Specialized sealed steel
Bottom Bracket Tange
Rear Derailleur Suntour ARX
Front Derailleur Suntour ARX
Hubs Suzue sealed bearing
Rims Araya 7X 26 x 1.75″
Spokes DT Stainless Steel 3 cross
Tires Stumpjumper
Brakes Mafac Tandem
Brake Levers Tommaselli Racer
Crank TA Cyclo Tourist 26/36/46
Pedals MKS Lyotard
Shifter Suntour Mighty
Handle Bar Specialized alloy rise
Grips Oakley3
Stem Specialized BMX style 4 bolt
Freewheel Suntour 5speed 14/28
Chain Sachs Sedis
Saddle Avocet Touring I
Seat Post Sakae Ringyo LaPrade


 この中でヨーロッパメーカーのパーツは、ブレーキ(マファック)、ブレーキレバー(トマゼリ)、クランク(TA)、スポーク(DTスイス)、チェーン(ザックス)程度。映画でそれを目いっぱい主張したわけだ。それ以外のすべて・・・フレームは今さら言うに及ばず、BBは丹下、ディレーラーはサンツアー、ハブはスズエ、リムはアラヤ、ペダルは三ケ島、シートポストは栄、と日本メーカーが占める。(スペシャライズドの自社ブランドパーツはまず日本製OEMであろう)

 まあ、マイク・シンヤードも自転車マニアによくいる、ヨーロッパかぶれの見栄っ張りの俗物、ということなのだろう。いや、もっと重症かもしれない。ヨーロッパからパーツを集めて作り上げた自らの処女作、というファンタジーを正当化するために、現実を捻じ曲げようとさえしている。日本製パーツでさんざん儲けさせてもらっても心は憧れのヨーロッパ・・・今は日本が台湾に置き換わっているだけなのだろう。

 それにしても、業界の最重要人物として確固たる地位に君臨するマイク・シンヤードは、この映画の中の自分の扱いを観てどう思ったのだろう?映画のプレミア会場にノコノコやってきてすらいるわけで、少なくとも公開まで観ていなさそうだなあ。

追記:

specialized
 バイシクリング誌83年5月号から抜粋した本当に笑える一節。『スペシャライズドは、日本の工場で製作したオフロードバイクを、昨年始めより最初に提供し始めた製造業者である(傍線上)』という各社のMTBを紹介した記事中の文章に対し、下の方に注釈(傍線下)が入っている。『スペシャライズドから早速の指摘が以下の通りあった。フレームと多くのコンポーネントは日本製であるが、他のコンポーネントはフランス、イタリア、スイスからのものである。ホイールの組み立てと最終組み立てはカリフォルニアで行われている。』

 おそらく、記事のゲラを読んだ(記事への車両&情報提供者であり、広告主でもある)シンヤードが編集部に訂正しろとクレームをいれたのだろう。(編集部は記事を訂正することなく注釈で対応した。それも「多くの」という形容詞をしっかり入れた上で)

 これで1983年の頃から映画が製作された2007年までの25年間、シンヤードの考えは微塵も変わっていないことが確かめられた。(しかし、コイツ、いまだにせっせと日本の工房にフレームを発注しているんだよね。大好きなヨーロッパか自分の国のビルダーに依頼すれば、こんな卑屈な思いに囚われなくて済むのに!)

さらに追記:

スタンプジャンパー初見参時の広告を上げるのを忘れていた。この時点で、しっかり書かれていたの分かる。

stumpjumper_ad
この部分・・・

only_the_strong_survive

(訳)強いものだけが生き残る
ゆえに我々は妥協しませんでした。一から造り出すことから始めたのです。:先鋭的なジオメトリーと寝かされたフォークを持つクロモリフレームは専用品です。マファック製カンチレバーブレーキ、トマゼリ製オートバイ用レバー、ラチェット式サムシフター、TA製3速クランクセット、サンツアーARXコンポーネント、DTステンレススポークを組み込んだホイールスミス製”ディッシュレス”アルミリム、高精度シールドベアリング、オーバーサイズ・アクスル。あまりにエキゾチックなパーツ群は、フランス、イタリア、日本、スイス製です。

ベストなものが不十分だったら?自らで作りあげました。インベスメントキャスト製法のフォーク・クラウン、がっしりとした4点留めステム、接触式シールのヘッドセット、クロモリ製ハンドルバー、アグレッシブな26インチ・ノビータイヤは自社製です。


嘘は無いが、ミスリードに満ちた文章といったところ・・・ところで、スタンプジャンパーの初期モデルのリムはアラヤではなく、ホイールスミス製だったのでしょうか?さらに、広告のオーバーオールとハイッソクスでキメた人、若き日のニーナン?

Tim_Neenan